【オーパーツ】ピリ・レイスの地図と並び南極大陸が描かれたとされる「オロンティウス・フィネウスの地図」

ピリ・レイスの地図は先に紹介したが、実は南極大陸が描かれた地図はまだ存在する。その一つが「オロンティウス・フィネウスの地図」だ。

Piri reis harita.jpg
ピーリー・レイース, パブリック・ドメイン, リンクによる

オロンティウス・フィネウスの地図

オロンティウス・フィネウスの地図は、1531年にフランスの数学者・地理学者であるオロンティウス・フィネウスが制作した世界地図である。

この地図は、南極大陸が詳細に描かれているとされ、オーパーツ(時代錯誤的な人工物)として話題になっている。

特に注目されるのは、フィネウスの地図に描かれた南極の形状が、現代の地図と非常に似通っている点だ。

フィネウスの時代には南極大陸はまだ公式には発見されておらず、19世紀まで未知の土地とされていた。

さらに、フィネウスの地図には、氷に覆われていない南極大陸が描かれているという主張もある。

これにより、一部の研究者やオカルト愛好家の間で、古代文明が氷河期以前の南極を知っていた可能性が議論されている。

この地図の起源については、フィネウス自身が古代の地図に基づいて作成したと記している。

これは、ローマ時代やギリシャ時代、さらにはそれ以前の文明が高度な地理知識を持っていた可能性を示唆するもので、フィネウスの地図が単なる推測ではなく、失われた古代の知識に依拠しているのではないかとの説を強化している。

ただし、現代の地理学者や歴史家の多くは、この地図が実際に南極を描写しているという主張に懐疑的である。

フィネウスの描写は単なる誤った解釈であり、実際には別の陸地や島を表しているとする見解も根強い。したがって、オロンティウス・フィネウスの地図が描いた南極大陸は、真実か神話か、未だに謎に包まれている。

 

南極大陸が描かれているとされる地図三選

古代の地図に南極大陸が明確に描かれているという証拠は存在しない。南極大陸は1820年にヨーロッパの探検家たちによって初めて発見されるまで、地理的には未知の地域とされていた。

しかし、いくつかの古代や中世の地図が、南極大陸を描いていると主張されている事例があり、それがオーパーツとして議論されている。

 

代表的な例は、以下の地図である。

1. オロンティウス・フィネウスの地図(1531年)

前述したフィネウスの地図には、南極大陸と非常によく似た大陸が描かれている。

ただし、この地図が実際に南極を描いているかどうかは議論があり、誤解された別の大陸である可能性も指摘されている。

 

2. ピリ・レイースの地図(1513年)

オスマン帝国の海軍提督ピリ・レイースによって制作された地図で、南米と共に南極大陸らしき部分が描かれているとされている。

特に注目されるのは、この地図に氷に覆われていない南極が描かれているという主張である。

しかし、ピリ・レイースの地図に描かれているのは南極ではなく、単に南米の誤った延長部分であるとの見解も一般的だ。

 

3. ブエンテリングの地図(15世紀末)

ブエンテリングの地図も、南極らしき大陸が描かれていると主張されるが、フィネウスやピリ・レイースと同様、この地図も誤解や推測によるものである可能性が高い。

 

これらの地図に共通するのは、南極大陸を描いているとされる部分が、実際には古代の探検家や地図製作者が未知の地域や噂を基にして描いた架空の大陸である可能性が高い点である。

古代や中世の地図作成者たちは、地球の南端に巨大な「未知の南方大陸(テラ・アウストラリス)」が存在すると考えていたが、これは実際の南極大陸とは異なる概念であった。

したがって、南極大陸が古代の地図に正確に描かれているという証拠はなく、それらの地図に描かれた大陸は誤解や伝説、推測に基づいたものであると考えられている。

 

それでも私は古代の人が南極大陸にたどり着き、氷に覆われていない大地と未知の文明が存在していたことを信じてやまない。

 

 

※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ
※画像が見つからなかったため、上図はピリ・レイスの地図を引用

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