【人間・スピリチュアル】平坦な地獄「Flat Hell(フラットヘル)」
「Flat Hell(平坦な地獄)」:死後の業の重み
日本人であれば、地獄というと針山や釜茹、皮剥ぎ、火あぶり、などなど地獄の種類に応じてちがった責め苦を想像する。
ただ、地獄は基本的に一つしかない。
それが平坦な地獄「Flat Hell」という、臨死体験した者が見た地獄だ。
この地獄は人により世界の色が違うが、基本的に地面含めて1色だけで構成されている世界だという。
周りには建物も何もなく確認できるのは地面と、自身が降り立った前に立てられた看板、そしていつから歩いているのか分からない顔に生気のない人がポツポツ居るが、その方向はバラバラだ。
地面には起伏も無く、太陽も無く、雲もなく、木々はおろか雑草の一遍も無い。ただただ平坦な地面が広がっているだけ。
看板には「生前の行いによって歩むべき距離が決定され、その距離を辿った後に再び輪廻に還り、次の生に至る」とかかれていた。具体的な距離は書かれていない。
多くの宗教や信仰体系において、死後の世界は魂が永遠の安息を得る場所であり、または罰を受ける場所として捉えられている。
しかし「Flat Hell」は様々な責め苦を受けるような場所では無く、業に応じて歩む距離が定められ、その距離を歩んだ後に再び新たな生を受けるというシステムとなる。
また「Flat Hell」の恐ろしい側面は、その距離が輪廻に繋がる点だ。
生前の行いによって背負う業が重ければ重いほど、歩むべき距離は長くなり、歩むことの苦しみも増していく。
歩き疲れたからといって、その場に数百年もとどまっても一向に輪廻には戻れず、いたずらに時が進むだけ。
「Flat Hell」で自らの業の重みを嘆き、永遠に辿り着けない距離を歩むことは、飽きることを知っている人間にとっては責め苦よりも厳しいものになるだろう。
気がふれることも、おかしくなってしまうことも無い。意識はハッキリしたまま、ただただ歩いて輪廻に必要な距離を辿るだけ。
もちろん、具体的な距離は本人には与えられていないので、どれだけの距離を歩かなければならないのかも不明。
この場所に関する古代の伝承や近代の目撃談は、私たちの理解を超えた未知の領域にある。
しかし、それでもなお、「Flat Hell」は生前の行いの重要性を示し、その結果が死後の運命に影響を与えることを教えてくれる。
「Flat Hell」は私たちに、悪業を犯さず、善行を積み重ねることの重要性を再認識させるものだ。
私たちは自らの行いが魂の輪に戻るための影響を理解し、慎重に行動することが必要。否応なく「Flat Hell」は、私たちにとっての業を背負わず生きることを薦めている。
※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ