【オカルト】江戸の大火事・振袖火事に関係があると言われる妖怪「小袖の手」

江戸の大火事の一つに数えられる「振袖火事」に関係があると言われる妖怪「小袖の手」について紹介しよう。

小袖の手とは?

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竜斎閑人正澄 (Japanese) – scanned from ISBN 978-4-336-05055-7., パブリック・ドメイン, リンクによる

 

「小袖の手」は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』などの江戸時代の古書に登場する日本の妖怪だ。

この妖怪は、小袖(袖口の狭い高級な和服)から、幽霊らしき女性の手が伸びている姿で描かれている。

その起源にはいくつかの説があり、遊女の死後に小袖から手が伸びたという風刺的な解釈や、小袖を持ち主が着飾りたかった願いが叶わず、怨みによって手が伸びたという説もあり、民間伝承にもこの妖怪の事は語られている。

 

小袖の手に関係があるとされる火事「振袖火事」

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田代幸春 – 戸火事図巻(江戸東京博物館 Edo-Tokyo Museum :収蔵品), パブリック・ドメイン, リンクによる

 

1657年に江戸で発生した大火災(明暦の大火)も、別名を振袖火事といって、恋煩いの末に亡くなった娘の振袖を供養のために寺で焼いたところ、火のついた振袖が風で煽られて火災の原因になったという伝承があり、これも同様に着物に込められた怨念の仕業によるものでは無いかと言われている。

 

振袖火事(明暦の大火)

「振袖火事」は、明暦の大火とも呼ばれ、江戸時代の日本で発生した大火災だ。

この火災は、1657年3月2日から4日にかけて、江戸の大半を焼き尽くした。

被害は延焼面積と死者数ともに江戸時代最大で、江戸三大大火の筆頭とされ、具体的な経過としては以下のようになる。

 

1月18日未の刻(午後2時ごろ)

本郷丸山の本妙寺から出火。神田や京橋方面に燃え広がり、隅田川対岸にまで及んだ。

1月19日巳の刻(午前10時ごろ)

小石川伝通院表門下、新鷹匠町の大番衆与力の宿所から出火。飯田橋から九段一帯に延焼し、江戸城は天守を含む大半が焼失。

1月19日申の刻(午後4時ごろ)

麹町5丁目の在家から出火。南東方面へ延焼し、新橋の海岸に至って鎮火。

この大火を契機に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷が江戸城外に転出し、武家屋敷や大名屋敷、寺社も移転した。

また、市区改正や防災対策も実施され、江戸の街は大きく変わるきっかけともなっている。

 

 

※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ

 

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