稲生物怪録に記録されているバケモノどもの総大将として登場する「山本太郎左衛門」について紹介しよう。
山本太郎左衛門(山本五郎左衛門)とは?
Kashiwa Seiho (柏正甫, Japanese) – ISBN 4-5829-2057-8., パブリック・ドメイン, リンクによる
山本太郎左衛門(または山本五郎左衛門)は、江戸時代中期の日本の妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪だ。
彼は妖怪の総大将として描かれ、魔王に属する存在として伝わっている。
山本太郎左衛門は、備後国三次(現在の広島県三次市)で稲生平太郎という少年を30日間にわたり様々な怪異で脅かすことをした。
しかし、平太郎は驚かずに耐え続け、最終日には山本太郎左衛門は武士の姿で現れ、自分が神野悪五郎という魔王の頭であり、勇気ある少年を100人驚かせる賭けをしていたことを明かした。
山本太郎左衛門の姿
山本太郎左衛門は、三つの目を持つ烏天狗の姿として描かれることもありますが、自分は天狗や狐狸の類ではないと語っている。
脅かした相手でもある平太郎に木槌を与え、今後怪異に襲われた際にはこれを打ち鳴らせば助けに来ると約束した。この木槌は広島市東区の國前寺に寺宝として伝えられている。
類話として、広島には、山本太郎左衛門に似た妖怪の話が複数存在する。
例えば、比熊山には「三本五郎左衛門」という妖怪がいたとされ、稲生武太夫を脅かしましたが、彼の豪胆さを称えて去ったという話が残っている。
山本太郎左衛門の伝説
山本太郎左衛門(または山本五郎左衛門)に関する伝説は他にもいくつか存在する。
比熊山の三本五郎左衛門
広島県の比熊山には「三本五郎左衛門」という妖怪がいたとされる伝説がある。この妖怪は稲生武太夫を脅かしましたが、彼の豪胆さを称えて去ったという話だ。
石川悪四郎の伝説
また、文化5年(1808年)には、五太夫という人物が石川悪四郎という妖怪を見物するために真定山へ登り、山中で夜を過ごした後に家に様々な妖怪が現れるようになった。
しかし、五太夫は怯まず、数日後に悪四郎が僧侶の姿で現れ、彼の勇敢さを称えて山から去ると告げたという。
写本による違い
『稲生物怪録』の写本には細部に異なる部分がある。
例えば1806年に平田篤胤が翻刻した『稲亭物怪録』では、山本五郎左衛門が「源平合戦の時に日本へ初めて渡った」と自己紹介している。
また、1886年に発行された『怪談稲生武勇伝』では、去る前に木槌ではなく「蒼生心経術」という巻物を手渡したとされている。
どの写本においても、山本太郎左衛門は勇気や豪胆さを試す存在として描かれていることは変わっていない。
※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ