【オーパーツ】1600年間風雨に晒されても錆びない鉄柱「デリーの鉄柱」
1600年錆びないと言われている「デリーの鉄柱(アショカ王の鉄柱)」をご紹介しよう。
デリーの鉄柱
Photograph taken by Mark A. Wilson (Department of Geology, The College of Wooster).[1] – Original photograph, パブリック・ドメイン, リンクによる
アショカ王の鉄柱として知られる「デリーの鉄柱」は、インドのデリーにあるクトゥブ・ミナールの敷地内に立つ古代の鉄柱だ。
この鉄柱は、錆びないことで有名であり、オーパーツ(時代錯誤的な工芸品)と目されている。
主な特徴
高さと重さ: 鉄柱の高さは約7メートル、直径は約44センチメートル、重さは約10トン。
材質: 99.72%の高純度な鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれている。
歴史: 紀元415年頃、グプタ朝のチャンドラグプタ2世によって建立されたとされている。
錆びない理由
この鉄柱が錆びない理由として、以下のような説がある。
リン酸化合物の皮膜: 鉄柱の表面に形成されたリン酸化合物の皮膜が、錆を防ぐ役割を果たしていると考えられている。
高純度の鉄: 高純度の鉄で作られているため、錆びにくいという説もありますが、これは誤りであるとする専門家もいる。
デリーの鉄柱に刻まれた碑文
デリーの鉄柱に刻まれたサンスクリット語の碑文は、主にチャンドラグプタ2世の功績を称える内容だった。
王の称賛: 碑文は、チャンドラグプタ2世が強力で偉大な王であったことを称えている。
戦勝記録: 彼が多くの戦争で勝利を収め、領土を拡大したことが記されている。
宗教的献身: 王がヒンドゥー教の神ヴィシュヌに深く献身していたことが述べられている。
碑文は、当時の王の偉業や宗教的信仰を後世に伝えるための重要な歴史的記録を残すものだった。
デリーの鉄柱の歴史
デリーの鉄柱の歴史的背景も見ていこう。
歴史的背景
建立時期: 紀元415年頃に建立されたとされていますが、正確な年代は議論の対象となっている。
建立者: グプタ朝のチャンドラグプタ2世によって建立されたとされ、彼の治世を記念するためのものだった。
技術的特徴
製造技術: 鉄柱は鍛造技術を用いて作られており、当時のインドの高度な金属加工技術を示すものだった。
錆びにくさ: 鉄柱が錆びにくい理由として、リン酸化合物の皮膜や高純度の鉄が挙げられますが、これらの要因がどのように作用しているかは完全には解明されていないが、ここがオーパーツとして目される理由となっている。
碑文の詳細
内容: 碑文には、チャンドラグプタ2世の戦勝記録や宗教的献身が記されている。
現在の状況
保存状態: 鉄柱は現在もデリーのクトゥブ・ミナールの敷地内に立っており、多くの観光客が訪れている。
全体としては非常に良好な状態を保っている。
研究と評価
学術研究: 多くの研究者がこの鉄柱の錆びにくさや製造技術について研究を行っており、古代インドの技術力を示す重要な遺物として評価されている。
オーパーツとしての評価
デリーの鉄柱は、その錆びにくさからオーパーツとされ、多くの研究者や観光客の興味を引いている。
しかし、実際には一部錆びている部分も確認されていることからオーパーツには入らないと言う人もいる。
ただ、この鉄柱は、古代インドの高度な金属加工技術を示す貴重な遺物であることには変わりない。
私はもちろん「古代の超技術で作られた鉄柱なので現代でも錆びていない、ちょっと赤くなっただけ。」に一票。間違いなくオーパーツだと信じている。
※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ