【オカルト】土蜘蛛は妖怪の側面ともう一つの側面があるのは知ってた?
恐ろしい妖怪として知られる「土蜘蛛」だが、妖怪としての側面とは別にもう一つの側面があることは知っているだろうか・・・
妖怪と地方豪族・土豪の2つの意味がある
「土蜘蛛」は、日本の古代史や伝説に登場する用語で、二つの異なる意味を持っている。
それはとある歴史書から読み取ることが出来る。
まず一つ目は、妖怪としての土蜘蛛だ。
近世以降、土蜘蛛は蜘蛛の形状をした妖怪として広く認識されるようになった。特に平安時代の源頼光の伝説に登場する大きな蜘蛛の妖怪として知られており、人間に危害を加える恐ろしい存在とされている。この妖怪は、鬼の顔に虎の胴体、クモの手足を持つといわれ、様々な物語や戯曲で描かれてきた。
そして二つ目は歴史上の地方豪族・土豪の蔑称だ。
上古の日本において、ヤマト王権・大王(天皇)に恭順しなかった地方の豪族や土豪たちを指す名称。これらの人々は、朝廷に反抗し、山野に石窟や土窟を築いて住んでいたとされ、異形の存在として描写されることがあった。
以上のように、「土蜘蛛」という言葉は、古代の反乱者を指す蔑称としても、妖怪としての伝承においても使用されている。どちらの文脈でも、強力で畏怖される存在として描かれていることが共通しているため、大和朝廷としては非常に強大な力を持った敵と認識していたのだろう。
土蜘蛛が倒された際は腹の中から頭蓋が多数出てきたとする絵も残されており、大和朝廷に恭順しない力を持った人間を、自分たちとは別のナニカと認識させたかったのかもしれない。
妖怪としての土蜘蛛の伝説
妖怪としての土蜘蛛に関する有名な伝説は平安時代の武将・源頼光との闘いだろう。この伝説は、土蜘蛛草紙や平家物語に記されている。
伝説によると、源頼光が原因不明の熱に苦しんでいた時、怪しげな法師が現れて頼光を縛ろうとした。
頼光は飛び起きて法師を斬り、家来たちと共に法師の血の跡をたどった。
その先には大きな石があり、石を動かすとそこから巨大な蜘蛛が現れ、糸を吹きかけて攻撃してきたとされている。
頼光たちはこの妖怪、土蜘蛛を退治し、その後頼光の病も治ったと言われている。
また、土蜘蛛は美しい女性や法師に変身する能力を持つとも伝えられており、その正体は年老いた大蜘蛛であるとされている。
絵巻物「土蜘蛛草紙」では、土蜘蛛が巨大な蜘蛛の形で描かれ、激しい戦闘の末に首を切り落とされ、蜘蛛の腹部からは多くの死人の首が現れるという恐ろしい描写も残っている。
ちなみに、土蜘蛛の住処は葛城山あたりと言われており、ここは役小角が修行した場所としても知られており、大和朝廷と非常に因縁がある場所だ。
頼光と土蜘蛛
源頼光と土蜘蛛に関する伝説は、日本の歴史や文化において非常に有名で、多くの文学作品や芸能で取り上げられている。
ここでは、源頼光と土蜘蛛草紙についての詳細を紹介しよう。
源頼光
源頼光は、平安時代中期の武将で、四天王の一人として知られている。
頼光は、平安京の治安維持や国内の反乱鎮圧に活躍し、特に土蜘蛛退治の伝説で有名だ。
土蜘蛛退治の伝説では、頼光とその家来たちが、京都・神楽岡で空を飛ぶ髑髏を追い、荒れ果てた屋敷で妖怪たちと戦い、最終的に巨大な土蜘蛛を退治するという物語が語られている。
土蜘蛛草紙
土蜘蛛草紙は、源頼光の土蜘蛛退治を描いた絵巻物で、14世紀に作られたとされる東京国立博物館所蔵のものが現存最古とされる。
絵巻物では、頼光が家来の渡辺綱らと共に蓮台野で空を飛ぶ髑髏を見つけ、それを追って神楽岡の荒れ果てた古い屋敷にたどり着く。
屋敷内で次々に異形のものと遭遇し、明け方近くに現れた美女を頼光が斬ると、白い血のあとを残して消え去ってしまう。
頼光の太刀は先が折れて無くなってしまうが、用心のために人形を先頭に立てながら白い血のあとをたどり、西の山の洞穴に至る。
そこで巨大な化人(化け物)が苦しみながら現われ、頼光らはこれを退治する。
その正体は巨大な山蜘蛛で、傷口からは死人の首が1990個、人間の子供くらいの大きさの小蜘蛛が数知れないほど現われるという恐ろしい描写が残っていた。
地方の豪族・土豪を土蜘蛛と蔑称していたとすると、これらの話は単に妖怪話では無く、政治に利用されてきたことは間違いないだろう。
※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ