【予言】聖マラキ予言に迫る!最後の教皇と終末の予兆
聖マラキ予言とは、12世紀のアイルランドの大司教、聖マラキが記したとされる「ローマ教皇に関する終末予言」である。
予言は112のラテン語の標語から構成され、各標語がそれぞれの教皇を象徴しているとされる。
その予言の最後には「世界の終わりと大審判」に関する記述があり、「最後の教皇」が登場することで人類滅亡の予兆だと噂されている。
本記事では、この聖マラキ予言の概要、歴代教皇との一致、そして“最後の教皇”とされる存在の正体と、それにまつわるオカルト的な視点を掘り下げていく。
聖マラキ予言とは何か?
聖マラキ(1094年–1148年)は、アイルランドのアルマ大司教であり、奇跡や神秘体験を多数行った人物としてカトリック教会において聖人とされている。
彼が残したとされる予言は、1595年にベネディクト会の修道士アルノルド・デ・ウィオンが出版した『生命の木(Lignum Vitae)』という書物の中で初めて登場する。
この予言は112人の教皇を「短い標語」で表現しており、その内容は歴代教皇の出自、紋章、活動、時代背景と見事に一致していると評価される場合がある。
例えば、太陽のように輝いたとされる「太陽の労働によって(De labore Solis)」という標語は、日食の日に生まれ、日食の日に死去した教皇ヨハネ・パウロ2世に見事に当てはまるという。
予言のラストには「ローマの破壊者」と称される最後の教皇が登場し、その後に「世界の終末」が訪れるとされている。
これが「最後の審判」に関する黙示録的な描写と酷似しているため、多くの終末論者やオカルト研究家の注目を集めてきた。
最後の教皇「ペトロ・ローマヌス」とは?
聖マラキの予言の中で最も注目されるのが、112番目の教皇「ペトロ・ローマヌス(ローマのペトロ)」である。この人物の標語は次のように記されている。
「極限の迫害の中で、ローマのペトロが座に就くだろう。彼は多くの苦難の中で民を養い、その後ローマの町は崩壊し、大いなる審判者が人々を裁くだろう。」
この記述は他の標語と異なり、非常に具体的かつ黙示録的である。通常の標語が1行程度であるのに対し、ペトロ・ローマヌスの部分だけが複数行にわたって記述されている。
これは、予言全体の「終末」がこの人物の登場と共にやってくるという暗示に他ならない。
現在のローマ教皇フランシスコは112人目の教皇であり、この予言に当てはめると「最後の教皇」と一致する。さらに驚くべきことに、彼の本名「ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ」はイタリア移民の子孫であり、ある意味では「ローマ出身」と解釈する者もいる。
これが「ペトロ・ローマヌス」との関連性を裏付ける根拠とされる場合もある。
予言と一致した歴代教皇たち
予言が的中しているとされる実例は数多い。ここでは特に有名な10例を簡単に紹介する。
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教皇ピウス6世:「半月に属す者」 → 月食の夜に即位。
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教皇レオ13世:「光る十字架」 → 紋章に十字架が刻まれていた。
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教皇ピウス12世:「牧人と船人」 → 旧約・新約双方に精通していた神学者。
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教皇ヨハネ・パウロ1世:「すばやき隠者」 → わずか33日で死去。
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教皇ヨハネ・パウロ2世:「太陽の労働」 → 日食の日に誕生し、日食の日に死去。
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教皇ベネディクト16世:「栄光のオリーブ」 → ベネディクト会はオリーブを象徴。
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教皇フランシスコ:「ローマの破壊者」 → 最後の教皇に位置づけられる。
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教皇インノケンティウス11世:「喜びの星」 → 紋章に星。
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教皇クレメンス13世:「戦う悪魔」 → 政敵との激しい対立。
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教皇シクストゥス5世:「雄牛と剣」 → 紋章に雄牛。
こうした一致は「偶然」にしてはあまりにも多すぎるとする意見が多い。
一方で、後世の解釈に過ぎないという批判的意見もある。
偽書説と真実の狭間
聖マラキ予言には「偽書説」も存在する。
つまり、この予言が実はマラキの時代に書かれたものではなく、1590年に次期教皇選びを操作するために書かれた「でっちあげ」だという主張である。
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出版されたのが1595年と、マラキの死後450年も後であること。
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1590年以前の教皇の予言は詳細だが、それ以降のものは曖昧。
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初期の標語が過剰に正確すぎる点。
これらをもって、多くの歴史学者は「予言ではなく政治工作の一環」だと考えている。
一方で、近代以降の教皇にも一致している事例があることから、「何かしらの真実が含まれている」というオカルト的解釈も根強い。
聖マラキ予言が現代にもたらす影響
現代の陰謀論者やオカルト研究家たちは、聖マラキ予言を「終末時計」のように見なしている。
特に「ペトロ・ローマヌス=教皇フランシスコ」とする解釈は、カトリック世界に動揺を与えた。
また、ノストラダムス予言やファティマの聖母の啓示など、他の終末予言とも共通点があるという分析も存在する。
予言に書かれた「ローマの町は崩壊し、大審判が始まる」という描写は、聖書の「ヨハネの黙示録」とも酷似しており、西洋終末論の系譜の中でも重要な位置を占めている。
まとめ:聖マラキ予言は警告か偶然か
聖マラキ予言が単なるでっちあげか、それとも歴史に沿って静かに進行している「終末のカレンダー」なのか――その判断は読む者に委ねられている。
確かなのは、この予言が500年以上経った今もなお、人々の関心を集め、さまざまな憶測と解釈を呼び起こしているということだ。
そして、もし教皇フランシスコが「最後の教皇」だとするならば、今私たちは「歴史の終わり」を目の前にしているのかもしれない。