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【異世界人】ウールピットの緑の子供たちとは?黄昏の国から現れた姉弟の伝説と正体

刈り入れの季節を迎えた畑には、乾いた茎が擦れ合う音が満ちていた。

低い空の下で村人たちが穀物を集めていると、地面に穿たれた古い穴のそばに、見慣れない二人の子供が立っていたという。

一人は少年で、もう一人は少女だった。手足や顔立ちは人間の子供と変わらない。だが、その肌は全身にわたって緑色を帯び、身に着けていた衣服も、村人たちの知らない色と素材で作られていた。二人は聞いたことのない言葉を話し、差し出された食べ物には手を触れなかった。

やがて二人はソラマメだけを口にし、少女は村の言葉を覚えた。そして、自分たちは太陽の昇らない「聖マルティヌスの国」から来たのだと語ったとされる。

これは、12世紀のイングランドで起きたと伝えられる「ウールピットの緑の子供たち」の物語である。

緑色の肌、地の底へ続く洞窟、暗闇の中で鳴る鐘、永遠の黄昏に包まれた故郷。後世には妖精界や地下世界、異星からの来訪者、戦乱を逃れた異国の孤児など、さまざまな説明が試みられてきた。

しかし、この物語の奥にあるのは、子供たちの正体だけではない。

言葉の通じない異邦人を前にした人々が、その存在をどのように理解し、記憶し、年代記へと書き残したのかという、さらに深い謎である。

収穫期の畑に現れた緑色の姉弟

狼を捕らえる穴のそばに立っていた二人

物語の舞台となったウールピットは、イングランド東部のサフォーク州にある村である。中世には聖エドマンドを祀るベリー・セント・エドマンズ修道院と深い関係を持つ土地であった。

現在のウールピットは、教会や古い家並みを残す穏やかな村である。だが、その名には獣の気配が残されている。

中世の年代記では、村の近くに狼を捕らえるための古い穴があり、それが「ウルフ・ピッツ」、すなわち狼の穴と呼ばれていたため、村名の由来になったと説明されている。ただし、地名の語源については後世の解釈も含まれており、実際にどのような罠が、いつまで使われていたのかは明らかではない。

ウィリアム・オブ・ニューバーグの記録によれば、事件が起きたのはスティーヴン王の治世、1135年から1154年までのどこかであった。

収穫作業をしていた者たちの前に、二人の子供が穴から現れた。少年と少女は呆然とした様子で畑をさまよい、やがて村人たちに捕らえられたという。

ここで「穴から現れた」という表現を、文字どおり地底から這い出したと受け取るべきかは定かではない。古い罠穴の近くで発見されたというだけかもしれず、年代記の文章が物語的な印象を強めている可能性もある。

それでも、刈り取られた畑と黒い穴、その縁を歩く緑色の姉弟という光景には、一度聞けば忘れられない異様さがある。

言葉も衣服も理解できなかった

二人の身体は人間と同じ形をしていたが、肌は緑色であったと記録されている。

ウィリアムは、子供たちが見慣れない色の衣服をまとい、その布地も知られていないものだったと記した。一方、ラルフ・オブ・コッゲシャルの記録では衣服についての説明は少なく、全身の皮膚が緑色に染まっていたことが強調されている。

二人が話す言葉を理解できる者はいなかった。

当時のイングランドには、英語だけでなく、支配階級の間で使われたフランス語系の言葉、教会や記録で用いられたラテン語、そのほか地域や出身地による多様な言語が存在した。それでもなお、村人たちには二人の言葉が判別できなかったと伝えられている。

もちろん、年代記作者自身が子供たちの声を聞いたわけではない。村人が聞き取れなかった言葉が、本当に未知の言語だったのか、単に遠方の方言だったのかは分からない。

ただ、言葉が通じないという事実は、二人を村の外側に置くには十分であった。

彼らは名前さえ呼ばれないまま、「緑の子供たち」として記録の中に残ることになる。


豆だけを食べた子供たち

差し出された食べ物を拒み続ける

発見された子供たちは村へ連れて行かれたが、パンや肉など、差し出された食べ物に手をつけようとしなかった。

空腹で衰弱していることは明らかだった。それでも二人は、目の前に置かれたものを食べ物として認識していないかのように拒み続けたという。

ラルフの記録によれば、生き残った少女は後に、当時は村人たちが出した食事を食べられるものだと思っていなかったと説明したとされる。

見知らぬ部屋、取り囲む大人たち、理解できない言葉、鼻を満たす未知の料理の匂い。二人が本当に遠い土地から来た子供だったとしても、強い恐怖と混乱の中で食事を拒むことは不自然ではない。

だが年代記の中では、二人の飢えはさらに奇妙な場面へとつながっていく。

茎の中に豆を探した理由

あるとき、畑からソラマメが運び込まれた。

緑の莢を見た子供たちは急に反応し、それを求める仕草を見せた。ところが二人は莢を開こうとはせず、豆が茎の空洞に入っていると思ったのか、茎を裂いて中を探したという。

何も見つからないと、二人は泣き出した。

それを見た者が莢を開き、中に入っていた豆を見せると、子供たちはようやく喜んで食べ始めた。以後、しばらくの間はソラマメだけを口にしていたとされる。

なぜ、豆が茎の中にあると思ったのか。

故郷では異なる形で栽培されていた、あるいは加工された豆しか見たことがなかったという説明もできる。極度の飢えと混乱によって、目の前の植物をうまく扱えなかっただけかもしれない。

一方、伝承として眺めるなら、豆は二人が故郷から持ってきた最後の記憶にも見える。

村のパンも肉も受けつけなかった子供たちが、緑の莢だけには反応した。太陽のない国と、地上の村をつないだ最初のものは、言葉でも祈りでもなく、一粒の豆だったのである。

緑色が消えていく

子供たちは次第にパンを食べるようになり、村の食生活に慣れていった。

それに伴い、肌の緑色も薄れていったと記録されている。ウィリアムは、こちらの食物の働きによって二人の本来の色が変わり、周囲の人々と同じ姿になったと説明した。

ラルフは、生き残った少女について、緑色を完全に失い、血色のある身体を取り戻したと記している。

食べ物を受け入れ、言葉を学び、肌の色まで変わっていく。その過程は、異界の存在が人間になる変身譚のようにも読める。

同時に、それは異国から来た子供が新しい共同体へ同化していく過程でもある。

緑色が本当に医学的な皮膚の変色であったのか、病的な青白さを物語の中で緑と表現したのか、それとも人々の驚きによって色が誇張されたのかは分からない。

確かなのは、二人が村の食べ物を受け入れるほど、彼らを異質な存在として際立たせていた色が失われたと語られていることである。


二つの中世年代記に残された物語

ウィリアム・オブ・ニューバーグの記録

緑の子供たちについて記した主要な人物の一人が、12世紀の年代記作者ウィリアム・オブ・ニューバーグである。

彼はイングランド北部のニューバーグ修道院に属した聖職者で、『イングランド史』と呼ばれる年代記を著した。その中で政治、戦争、教会の出来事とともに、説明のつかない怪異や死者の出現なども記録している。

ウィリアムは、緑の子供たちの話をすぐに信じたわけではなかった。

彼自身の記述によれば、合理的な説明を持たない話を信じるのは滑稽だと考え、長く疑っていたという。しかし、多くの人々が語り、その証言の重みに押される形で、理解できないまま記録することにした。

この態度は興味深い。

ウィリアムは、怪異を無条件に受け入れているわけではない。疑いを示しながらも、複数の人々が知る出来事を完全に捨て去ることもできなかった。現代の調査報告とは異なるが、彼なりに伝聞の信頼性を測ろうとしていたのである。

ただし、彼が挙げた証人の名前は残されていない。事件の現場から遠い修道院にいたウィリアムが、どのような経路で話を聞いたのかも確定していない。

ラルフ・オブ・コッゲシャルの記録

もう一つの記録は、シトー会の修道士ラルフ・オブ・コッゲシャルが編纂した『イングランド年代記』に収められている。

ラルフはウールピットから比較的近いコッゲシャル修道院に属していた。彼の記録では、子供たちはウールピットで発見された後、ワイクスにあった騎士リチャード・ド・カルンの屋敷へ連れて行かれたとされる。

さらにラルフは、リチャード本人やその家の者たちから、この話をたびたび聞いたという趣旨の説明を加えている。

この点だけを見れば、ラルフの方が事件に近い証言を得ているように思える。しかし、彼の年代記がまとめられた時期は、ウィリアムの記録より後である。

また、二つの記録には共通点だけでなく、無視できない違いがある。

ウィリアムは発見をスティーヴン王の治世に置いているが、ラルフは明確な年代を示していない。ウィリアムは故郷を「聖マルティヌスの国」と記すが、ラルフはその名を記さない。洞窟を通って来たという話はラルフにあり、遠くの明るい国と大河の話はウィリアムにある。

二人の年代記作者は、同じ骨格を持ちながら、少しずつ異なる物語を残したのである。

二つの記録は独立した証言なのか

かつて緑の子供たちの話は、離れた土地にいた二人の年代記作者が、同じ事件を別々に記録したものとして紹介されることが多かった。

だが、二つの記録が存在することと、二つの独立した証言が存在することは同じではない。

近年の研究では、ウィリアムとラルフが同じ口承、あるいは共通する情報源から話を得た可能性が論じられている。ウィリアムが、サフォーク周辺の修道院網を通してリチャード・ド・カルンに由来する話を聞いたという仮説もある。

二人の文章は単純な写しではなく、表現も細部も異なっている。そのため、一方が他方の年代記をそのまま書き写したとは考えにくい。

しかし、元をたどれば同じ人物や家の者が語った話だった可能性はある。

つまり、二つの年代記は物語の古さを示す重要な記録ではあるが、別々の目撃者が同じ事実を確認した証拠として扱うことはできない。


少年の死と人間の世界に残った少女

故郷を語らずに死んだ弟

姉弟のうち、少年は発見された当初から弱っていた。

ラルフは、少年が常に物憂げで衰弱しており、ほどなく死亡したと記している。ウィリアムの記録では、二人が洗礼を受けた後、年下に見えた少年が間もなく死んだとされる。

二つの記録では、死と洗礼の前後関係が同じではない。

後世の再話では、少年が地上の食物や太陽に耐えられなかったかのように描かれることがある。暗い国で生まれた者が、強すぎる光に焼かれたという解釈である。

だが、年代記から分かるのは、少年が病弱で早く死んだということだけだ。発見以前から栄養状態が悪かった可能性もあり、感染症や持病があった可能性もある。

少年は村の言葉で故郷について詳しく語ることなく死んだ。

もし彼が生き延び、姉とは異なる記憶を話していたなら、物語は別の形を取っていたかもしれない。残された故郷の像は、ほとんどすべて少女の言葉と、それを聞いた大人たちの文章によって作られていった。

洗礼を受けた少女

少女は通常の食事に慣れ、肌の緑色を失い、洗礼を受けた。

ウィリアムによれば、彼女は後にリンで結婚し、年代記が書かれる少し前まで生きていたと噂されていた。ここでいうリンは、一般に現在のキングズ・リンと理解されている。

一方、ラルフは少女がリチャード・ド・カルンのもとで長年働いたと記し、その振る舞いを奔放で無遠慮なものだったと評している。

この評価を、少女の性格についての客観的な記録と見ることには注意が必要である。言葉も文化も異なる少女の振る舞いを、中世の男性聖職者が自らの規範に照らして判断した表現だからである。

後世には、少女の名をアグネスとし、特定の男性と結婚したという説も広まった。しかし、ウィリアムとラルフの初期記録には少女の名がなく、具体的な身元を確定できる資料も存在しない。

記録の中の少女は、最後まで名を持たない。

彼女は緑色を失い、言葉を覚え、洗礼を受け、働き、あるいは結婚した。人間社会へ溶け込むほど、かつて何者であったのかを示すものは消えていったのである。


太陽の昇らない聖マルティヌスの国

永遠の黄昏に包まれた故郷

村の言葉を覚えた子供たちは、自分たちが「聖マルティヌスの国」の住人であると話したとウィリアムは記している。

その国では聖マルティヌスが特に崇敬されていた。教会があり、人々はキリストを信じていたという。

この点は、後世の妖精譚としての解釈を複雑にしている。

聖マルティヌスの国は、単純な異教の妖精界として語られているわけではない。そこにも教会があり、住人はキリスト教徒であった。しかし、太陽は昇らなかった。

少女たちの説明によれば、その土地は日の出前、あるいは日没後のような淡い光に包まれていた。完全な暗闇ではないが、昼も訪れない。遠くには明るい土地が見え、幅の広い川によって隔てられていたという。

川の向こうにある光の国は何だったのか。

地上の昼を遠くから見ていたのか、死者の国と生者の国を分ける境界だったのか。年代記は答えを示さない。

ラルフの記録では「聖マルティヌスの国」という名は出てこないが、少女は故郷の住人と、そこにあるすべてのものが緑色であったと語ったとされる。光は日没後のようで、太陽を見ることはなかった。

二つの記録を重ねると、教会の鐘が鳴り、緑色の人々が暮らし、地平の向こうには川を隔てて明るい国が見える、薄明の世界が浮かび上がる。

だが、その完成された風景は、異なる年代記の細部を後世の読者が一つに組み合わせたものでもある。

鐘の音を追って洞窟へ入った

子供たちがウールピットへ来た経緯についても、記録は一致していない。

ウィリアムの記述では、二人は父親の家畜を野原で放していた。すると、後にベリー・セント・エドマンズで聞いた鐘に似た大きな音が響き、その音に気を取られているうちに意識が遠のき、気づけば収穫中の畑に立っていたという。

ラルフの記録では、二人は家畜を追って洞窟へ入った。

暗い洞窟の中で美しい鐘の音を聞き、その響きに引かれるように長い間さまよった。やがて出口にたどり着くと、強烈な太陽の光と慣れない空気の温かさに打たれ、力を失って穴の縁に横たわった。

村人たちが近づくと、二人は恐れて逃げようとした。しかし、入ってきたはずの洞窟の入口を見つけることができず、そのまま捕らえられたとされる。

鐘は、人間の村にも、黄昏の国にも存在したらしい。

その音は地下の暗闇を抜け、異なる世界をつないでいた。二人が聞いた鐘は、故郷の教会のものだったのか、それとも地上の修道院から洞窟へ響き込んだものだったのか。

音の源を探しているうちに、姉弟は境界を越えた。

そして一度地上へ出ると、帰り道は消えていた。


緑の子供たちは妖精だったのか

中世の異界訪問譚との共通点

洞窟を通って別の世界へ移動する話は、中世ヨーロッパの伝承にたびたび現れる。

丘や洞穴、地下の通路を抜けた先には、人間の世界とは異なる時間と光に支配された土地がある。そこで食べ物を口にした者は帰れなくなり、戻ることができても、地上では長い年月が過ぎている。

ウールピットの物語にも、こうした異界譚と響き合う要素がある。

地下の穴、永遠の黄昏、異なる食物、奇妙な衣服、帰れない子供たち。そして自然や野性を思わせる緑色である。

後世の民俗学者や作家たちは、二人を妖精の国から来た子供として扱うようになった。19世紀に英語で広く紹介されるようになると、この話はサフォーク地方の妖精伝承として定着していった。

しかし、最初の年代記作者たちは、二人を明確に妖精とは呼んでいない。

ウィリアムにとって彼らは、説明できない驚異であった。ラルフにとっても、人間に似ていながら、人間の世界の外側に属するかのような存在であった。

妖精という呼び名は、物語を理解しやすい分類へ収めるため、後の時代に与えられたものなのである。

取り替え子とは異なる物語

ヨーロッパの妖精伝承には、妖精が人間の赤子をさらい、代わりに別の存在を置いていく「取り替え子」の話がある。

緑の子供たちも、取り替え子の一種として紹介されることがある。だが、物語の構造は異なっている。

二人は特定の家から人間の子供と入れ替わったのではない。村外れの穴のそばで発見され、自分たちには別の故郷と家族がいると語った。

彼らは人間の家庭へ侵入した存在ではなく、人間の側へ迷い込んだ者である。

むしろこの物語では、恐れられる妖精よりも、帰る場所を失った子供たちの脆さが目立つ。二人は超自然的な力を示さず、捕らえられ、飢え、弟は死に、姉は新しい社会へ順応していった。

異界から来た者だとしても、その姿は怪物ではない。

穴のそばで泣き、食べ物を探し、言葉を覚えようとする、孤立した子供たちなのである。


異国から迷い込んだ孤児という説

フランドル系住民だった可能性

超自然的な解釈とは別に、二人は戦乱を逃れた異国の子供だったという説がある。

よく知られているのが、イングランド東部に住んでいたフランドル系住民と結びつける説である。

中世のイングランドには、大陸から移住した人々が暮らしていた。フランドル出身者の中には織物技術を持つ者もおり、子供たちの見慣れない衣服や言語を説明できると考えられた。

この説では、「聖マルティヌスの国」はウールピットから遠くないフォーナム・セント・マーティンを指すとされる。さらに、1173年に付近で起きた戦いの混乱から逃げた子供たちが、森や地下道をさまよってウールピットへ出たという筋書きが作られた。

一見すると、多くの謎をまとめて説明できる説である。

見知らぬ言葉はフランドル系の言語、奇妙な服は織物職人の共同体の衣服、聖マルティヌスの国は実在する地名、洞窟は森や坑道の記憶だったというわけである。

しかし、この説を裏づける同時代の記録は見つかっていない。

また、1173年という年代は、ウィリアムが記したスティーヴン王の治世より後である。年代記作者が時期を間違えたと考えることはできるが、その誤りを証明する資料はない。

子供たちを特定のフランドル人共同体へ結びつける説は、可能性のある再構成ではあっても、正体を確定するものではない。

難民の言葉はどのように記録されたのか

仮に二人が戦乱から逃れた孤児だったとすれば、彼らが語った故郷の話も違って見えてくる。

強い恐怖を経験した子供が、出来事を順序立てて説明できるとは限らない。まして、覚えたばかりの言葉で、大人たちから繰り返し質問されたのである。

少女が話した言葉は、そのまま年代記に書き取られたわけではない。

まず少女が語り、それを屋敷の者や聖職者が理解し、別の者へ伝え、最終的にラテン語の文章へ整えられた。そこには聞き間違い、翻訳、要約、語り手の宗教観や物語への期待が重なっている。

「太陽が昇らない国」は、深い森や暗い住居、長い避難生活の記憶だったのかもしれない。「川の向こうの明るい土地」は、故郷から見た別の地域のことだった可能性もある。

だが反対に、現実的な説明を求めるあまり、少女が語った異様な風景をすべて地理や病気へ置き換えることもできない。

彼女の声は残っていない。

残されているのは、彼女の言葉を理解したと考えた大人たちの記録だけである。


肌が緑色だった理由

貧血や栄養不良による変色説

緑色の肌を医学的に説明しようとする説では、栄養不良や貧血が挙げられる。

かつてヨーロッパでは、青白く病的な顔色を伴う症状が「グリーン・シックネス」やクロローシスと呼ばれた。後世の論者は、子供たちも重度の栄養不足によって緑がかった顔色をしており、食生活が改善すると通常の色へ戻ったのではないかと考えた。

食事に慣れるにつれて色が消えたという年代記の記述とは、ある程度一致する。

しかし、クロローシスは主に思春期の少女と関連づけられてきた歴史的な診断名である。少年を含む二人が全身緑色だったという記録を、その病名だけで説明することは難しい。

そもそも、12世紀の伝聞をもとに現代的な診断を下すことはできない。皮膚の色調、目の状態、体温、血液など、医学的判断に必要な情報は何も残っていない。

二人が飢えや病気によって異様な顔色をしていた可能性はある。だが、それが具体的にどの病気であったのかを確定することはできない。

記録された「緑」は何を意味するのか

初期のラテン語記録には、子供たちの皮膚が緑色に染まっていたことを示す表現が実際に使われている。

したがって、緑色という要素がごく近代になって付け加えられたわけではない。

それでも、その色が現代人の想像する鮮やかな緑だったとは限らない。病的な青白さ、黄みや灰色を帯びた肌、薄暗い場所で見た異様な色合いを、語り手が緑と表現した可能性がある。

また、驚異を記録する文章の中で、色が物語的に強調されたことも考えられる。

子供たちが異なる言葉と衣服を持つだけなら、遠方から来た迷子として理解できる。だが、全身が緑色だったとなれば、人間世界の外から現れた存在となる。

緑色は、物語を単なる遭難事件から異界譚へ変える決定的な要素である。

それが観察された色なのか、記憶の中で濃くなった色なのか、年代記作者が異質さを示すために選んだ色なのかは、今も判別できない。


月世界と宇宙人説への変化

空から落ちてきた子供たち

中世の年代記に、宇宙船や惑星からの来訪を示す記述はない。

子供たちは空から降りたのではなく、穴や洞窟の近くで発見された。彼らの故郷も星や月とは呼ばれず、教会と家畜のある聖マルティヌスの国として語られている。

しかし、時代が進むと、太陽のない土地は地下世界だけでなく、天上や月の世界と結びつけられるようになった。

17世紀のロバート・バートンは『憂鬱の解剖』の中で、緑の子供たちを天から落ちてきた存在として取り上げた。フランシス・ゴドウィンの空想的な月旅行物語『月世界の人』にも、ウールピットの伝承を思わせる要素が取り込まれている。

ここでは、異界への入口が地中から空へ移動している。

洞窟の奥にあったはずの黄昏の国は、天文学と空想文学の発展によって、月世界として読み替えられたのである。

現代の異星人伝説

20世紀以降、緑色の肌は異星人の典型的なイメージと結びついた。

そのため、ウールピットの子供たちは「中世に記録された宇宙人」や「異次元から来た存在」として語られることがある。

未知の言語、奇妙な衣服、太陽の見えない故郷、強い日光への驚きは、異星から来た子供という物語にも当てはめられる。

だが、これは現代の文化が中世の記録へ重ねた解釈である。

初期記録には、飛行物体も高度な技術も、星から来たという発言もない。二人は家畜を追い、鐘を聞き、洞窟を歩いてきたと語っている。

宇宙人説は、説明できないものを未知の惑星へ置く現代の異界譚である。中世の人々が地下や黄昏の国に置いた謎を、現代人は宇宙や別次元へ置き直したにすぎないともいえる。

故郷の場所は、時代ごとに変わった。

妖精の丘、死者の国、地底世界、月、異星、別の次元。どこへ移されても、二人が帰れなかったという結末だけは変わらない。


年代記作者は何を記そうとしたのか

近代的な事件報告ではなかった

中世の年代記は、現代の新聞記事や警察の調書とは異なる。

戦争や王の死といった歴史的事件だけでなく、奇跡、怪物、予兆、幽霊、説明不能な出来事も記録された。そうした驚異は、読者を楽しませるだけでなく、世界の秩序や神の意志、人間の知識の限界を考えさせる材料でもあった。

ウィリアムは、緑の子供たちの話を、理解できないからこそ記した。

彼はすべてを説明しようとはせず、各人が自分の能力に応じて考えればよいという姿勢を示している。物語の結論を閉じるのではなく、理解不能なものとして読者の前へ置いたのである。

一方、ラルフの年代記では、緑の子供たちの前後に、海から引き上げられた謎の男、巨人の痕跡、姿を消すことのできる存在などの話が並んでいる。

いずれも人間に似ているが、身体や性質のどこかが通常とは異なる存在である。

緑の子供たちは、単独の未解決事件ではなく、人間社会の境界に現れた異質な者たちの一例として配置されていた。

洗礼と同化の物語

二つの年代記に共通する重要な要素が、洗礼である。

子供たちは食べ物を受け入れ、言葉を覚え、緑色を失った後、キリスト教共同体の一員となるための洗礼を受けた。

弟は、その途中で死んだ。

姉は生き残り、屋敷で働くか、別の町で結婚したとされる。彼女は故郷の記憶を持ちながら、こちらの世界の女性になった。

この展開は、異質な存在が共同体へ取り込まれていく物語として読むことができる。

食べ物、言葉、肌の色、信仰、仕事、結婚。少女が人間社会に適応するたび、彼女と故郷を結んでいたものは一つずつ薄れていく。

その一方で、弟は変化の途中で命を失った。

二人の運命の違いは、異なる世界の間を移動することの代償を示しているようにも見える。新しい土地へ同化できた者だけが生き残り、その者も、元の自分を示す色と声を失わなければならなかったのである。


現代のウールピットに残る緑の子供たち

村の風景に刻まれた伝説

緑の子供たちの物語は、長く忘れ去られていた時期もあった。

中世のラテン語年代記から再び広く知られるようになったのは、近世から近代にかけてである。19世紀には民間伝承や妖精譚として英語で紹介され、20世紀以降は小説、詩、演劇、音楽など、さまざまな作品の題材となった。

1935年に刊行されたハーバート・リードの小説『緑の子』も、この伝承から着想を得た作品として知られている。ただし、その内容は中世年代記の単純な再話ではなく、物語を独自の哲学的幻想へ作り替えたものである。

現在のウールピットでは、緑の子供たちは村を象徴する伝説となっている。

村の標識には二人を思わせる姿が描かれ、地域の博物館でも物語が紹介されている。かつて村人を困惑させた異邦の子供たちは、長い年月を経て、土地の名を外の世界へ伝える存在になった。

伝説が村へ受け入れられたという意味では、少女の同化は今も続いているのかもしれない。

物語が時代ごとに映し出したもの

ウールピットの緑の子供たちは、語られる時代によって姿を変えてきた。

中世の年代記では、世界の不可解さを示す驚異であった。民俗学では妖精界から来た子供となり、歴史的解釈では戦乱を逃れた難民となった。医学的説明では栄養不良の患者となり、空想科学の時代には月や異星から来た存在となった。

どの説も、物語のすべてを説明することはできない。

妖精説は洞窟と黄昏を説明するが、故郷に教会があったという話を扱いにくい。異国人説は言語や衣服を説明できるが、全身の緑色や太陽のない国を解き明かせない。病気説は肌の変化を説明しようとするが、医学的な証拠がない。宇宙人説は現代的で魅力的だが、原記録にない要素を大量に付け加えなければ成立しない。

結局のところ、それぞれの説明は、子供たちの正体よりも、説明する側の時代と関心を映している。

中世人は神の世界の驚異を見た。近代人は妖精と民間伝承を見つけ、現代人は難民、病気、宇宙人、異次元を見いだした。

緑の子供たちは、見る者が何を恐れ、何を信じ、未知の存在をどこへ置こうとするのかを映す鏡なのである。


ウールピットに残された黄昏

夕暮れのウールピットに鐘が鳴る。

その音が畑を越え、古い教会の壁を震わせ、地面の下に残る見えない空洞へ沈んでいく。かつて二人の子供が、その音に導かれて暗闇を歩いたという。

本当に緑色の姉弟が存在したのか。

戦乱に追われた孤児だったのか。病によって異様な色を帯びた子供だったのか。洞窟の向こうにある黄昏の国から来たのか。

二つの年代記は答えを残していない。

少年は早くに死に、少女は名前を失ったまま人間の世界へ溶け込んだ。彼女がどの言葉で夢を見たのか、故郷の家族をいつまで覚えていたのか、夜明けの光を恐れなくなったのはいつだったのかも分からない。

食べ物が変わり、言葉が変わり、肌の色が変わった。

やがて少女の中に残っていた黄昏の国も、他人へ説明するための物語へ変わっていったのだろう。

それでも、鐘の音だけは消えなかった。

地上の鐘だったのか、地下の教会の鐘だったのかは分からない。今もその音の向こうには、太陽の昇らない緑の土地があり、大河の彼方に届かない光が浮かんでいるのかもしれない。

少女がこちらの世界の人間になるほど、故郷へ通じる洞窟は深く閉ざされた。

残ったのは、収穫期の畑と、狼の穴と、帰り道を見失った二人の子供の話だけである。


参考文献・出典

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https://archive.org/details/ChroniconAnglicanum

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John Clark, “‘Small, Vulnerable ETs’: The Green Children of Woolpit,” Science Fiction Studies, Vol.33, No.2, 2006, pp.209–229.
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https://visit-burystedmunds.co.uk/blog/the-green-children-of-woolpit

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https://archive.org/details/bim_early-english-books-1641-1700_the-man-in-the-moone_godwin-francis_1657

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