※本サイトはプロモーションが含まれます。

【風俗】くしゃみで魂が抜ける?「くさめ」に隠された古いまじない

鎌倉時代末期の随筆『徒然草』には、清水寺へ向かう道で「くさめ、くさめ」と唱え続ける老尼が登場する。老尼自身がくしゃみをしたわけではない。比叡山にいる養君が、今この瞬間にもくしゃみをしているかもしれないと考え、その命を守るために唱えていたのである。

老尼は、くしゃみをしたときにまじないをしなければ死んでしまうのだと説明する。現在では鼻の生理的な反応として知られるくしゃみが、なぜ命に関わる現象とみなされたのか。そして、「くしゃみ」という言葉の前身とされる「くさめ」は、本当に延命を願う呪文だったのか。

調べていくと、「くさめ」には一つに決められない複数の由来が重なっていることが分かる。長寿を願う漢文調の呪句、災厄を罵倒して追い払う言葉、仏教説話に登場する祝福、地域ごとに異なる唱え言葉である。

ただし、それらのすべてが同じ起源から生まれたとは限らない。「休息万命」という呪文が縮まって「くさめ」になったという説明も、釈迦の弟子が「クサンメ」と唱えたという話も、広く紹介されている一方で、語源を確定する証拠にはなっていない。

「くさめ」とは何だったのか。古典、国語辞典、民俗資料、仏教文献をたどり、確かめられる事実と後世の語源説を分けながら検証する。

くしゃみは体を守る反応である

現代医学では、くしゃみは鼻の通り道を刺激物から守るために起こる反応と説明されている。鼻の粘膜がほこり、花粉、分泌物などの刺激を受けると、反射的に息が激しく吐き出される。せきが気道や肺を守るのと同じように、くしゃみには鼻の内部を清掃する役割がある。

しかし、身体の働きを神経や反射で説明できなかった時代には、突然起こるくしゃみが別の意味を持つことがあった。

本人の意思とは無関係に身体が大きく動き、息と音が一度に外へ噴き出す。しかも、いつ起こるかを予測できない。こうした現象は、病気の前触れ、誰かに思われている徴候、外部から働きかけられた結果など、目に見えない原因と結びつけて解釈された。

ここで注意したいのは、昔の人々がくしゃみについて全国一律の信仰を持っていたわけではないという点である。文献に残る説明には、時代差と地域差がある。「くしゃみをすれば必ず魂が抜けると信じられていた」と一般化することはできない。

確かめられるのは、くしゃみを不吉なものとみなし、言葉によって災いを防ごうとする習俗が、古典や民俗資料に記録されているという事実である。


「くしゃみ」以前の呼び名は「鼻ひ」だった

現在の「くしゃみ」という呼び名は、古代から変わらず使われてきたものではない。

『万葉集』には、くしゃみをすることを「鼻をふ」「鼻をひる」と表現した歌が収められている。また、平安時代初期に成立した漢和辞書『新撰字鏡』には、くしゃみを意味する語として「はなひ」が記録されている。

「鼻をひる」の「ひる」は、体内のものを外へ放出する意味を持つ古い動詞である。つまり、この呼び名は、鼻から息を勢いよく外へ出す身体動作に注目した表現だった。

『万葉集』では、くしゃみや眉のかゆみが、誰かに思われている徴候として詠まれている。現代にも「誰かに噂されるとくしゃみが出る」という俗信が残るが、その発想に通じる古い用例である。

もっとも、歌に詠まれた表現が、その時代の人々全員に共有されていた信仰を証明するわけではない。和歌では、身体の変化を恋人の思いと結びつける文学的な表現も用いられる。

それでも、くしゃみが単なる身体反応ではなく、遠くにいる他者の思いを知らせる徴候として理解され得たことは確認できる。身体の内部で起きた出来事が、目に見えない人間関係と結びつけられていたのである。


『徒然草』の老尼は、なぜ「くさめ」と唱えたのか

「くさめ」がまじないの言葉だったことを示す、もっともよく知られた記述が『徒然草』第四十七段である。

ある人物が清水寺へ参詣する途中、年老いた尼と道連れになった。尼は歩きながら「くさめくさめ」と言い続けている。理由を尋ねても答えず、何度も質問されると、腹を立てながら事情を説明した。

尼の言葉には、次の一節がある。

「鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなり」

くしゃみをしたとき、このようにまじなわなければ死んでしまうという意味である。尼は、比叡山に児としている養君が、今にもくしゃみをするのではないかと案じていた。その場に唱える人がいなくても、自分が離れた場所から「くさめ」と言えば守れると考えていたのである。

この段は、老尼の風変わりな行動を描いた短い逸話である。『徒然草』は民俗調査の報告書ではなく文学作品であるため、この記述だけから中世社会全体の習俗を断定することはできない。

一方で、この話が読者に意味の通じる逸話として成立していることは重要である。「くしゃみの際には何らかのまじないをする」という前提がまったく知られていなければ、尼の行動の奇妙さも、最後に示される深い思いやりも伝わりにくい。

作者は尼を単純に嘲笑してはいない。段の末尾は「有り難き志なりけんかし」と結ばれている。珍しく、感心すべき心掛けである、という趣旨である。

尼の行為が医学的に効果を持つかどうかは問題ではない。この逸話が伝えるのは、くしゃみを命の危機とみなす信仰と、目の前にいない養君のために言葉を唱え続ける切実な心情である。

「くさめ」は、本人が自分を守るためだけに発する言葉ではなかった。少なくともこの逸話では、大切な者に代わって唱える保護の言葉だったのである。


「くさめ」はまじないから動作の名前になったのか

『精選版 日本国語大辞典』は、「くさめ」の第一の意味を、くしゃみをしたときに唱えるまじないの言葉としている。

そこでは、くしゃみをすると早死にするという俗信があり、「くさめ」と唱えれば災いを防げるとされたことが説明されている。用例として挙げられるのは、鎌倉時代の1275年までに成立した語源辞書『名語記』である。

同辞典は、まじないの言葉だった「くさめ」が、やがてくしゃみという動作そのものを指すようになった可能性を示している。動作名としての「くさめ」は、江戸時代初期の俳諧資料にも見える。

現在の「くしゃみ」についても、辞書では「くさめ」が変化した語と説明される。「くっさめ」「くさみ」「くっしゃみ」などの形も文献に残っており、複数の語形が併存しながら現在の形へ近づいたと考えられる。

ただし、「くさめ」という呪文が、ある時点で突然「くしゃみ」という動作名へ置き換わったわけではない。古い資料には異なる形が入り交じっており、その変化は一直線ではない。

山田健三の国語史研究「『くさめ』から『くしゃみ』へ」は、この変化を単なる発音の変化として扱っていない。くしゃみをめぐる俗信が弱まり、「くさめ」が呪文として理解されにくくなったことも、語義と語形の変化に関係したと論じている。論文は1986年に『名古屋大学国語国文学』第59号へ掲載されている。

かつては、身体反応が起きた後に「くさめ」と唱えていた。やがて、その言葉自体が身体反応の名前として受け取られ、「くしゃみ」へ変化していった可能性がある。

言葉の意味が変わるとき、音だけが変わるとは限らない。言葉を必要とした信仰や生活習慣が薄れることで、もとの役割が忘れられ、別の意味が前面に出ることもあるのである。


「休息万命急々如律令」という長い呪文

「くさめ」の由来として、しばしば紹介されるのが「休息万命」という言葉である。

『世界大百科事典』の「くしゃみ」の項目には、くしゃみの際に唱える呪文として、『拾芥抄』に「休息万命急々如律令」、『袖中抄』に「千秋万歳急々如律令」が記録されているとある。

ここで書名を混同してはならない。「千秋万歳急々如律令」を記すとされる資料は『袖中抄』であり、「簾中抄」ではない。

「急々如律令」は、もとは中国漢代の公文書の末尾に添えられた表現である。文書の趣旨を理解し、速やかに律令のとおり実行せよ、という意味を持った。後には道士や巫者の呪文、護符などにも用いられるようになった。

日本にも「急々如律令」を記した呪符や護符が残っている。国立歴史民俗博物館が所蔵する火防護符にも、この定型句が確認できる。もとは行政命令のような強い表現だった言葉が、災いに即座の退去を命じる呪句へ転用されたのである。

突然起こるくしゃみに対し、長寿を願う言葉と「直ちに実行せよ」という命令形を組み合わせる。そこには、身体に迫ったと考えられる災いを、一刻も早く退けようとする構造が見える。

しかし、「休息万命」という漢字を現代語の「休んで命を保つ」という意味でそのまま解釈することはできない。呪文の漢字表記は、音を写したもの、既存の音へ意味の良い文字を当てたもの、後世に説明を加えたものなど、複数の成立過程を持ち得る。

さらに、「休息万命」を早口で唱えた結果「くさめ」になったという説明も、実証された音韻変化ではない。広く流布している語源説の一つとして扱うべきである。

確かなのは、「休息万命急々如律令」という呪句が、くしゃみのまじないとして文献に紹介されていることだ。「くさめ」がこの呪句から直接生まれたかどうかは、別の問題である。


くしゃみで魂が抜けるという説明

くしゃみのまじないを語る際、「くしゃみをすると魂が抜けると信じられていた」と説明されることがある。

この説明には、民俗資料上の根拠がある。国立国会図書館のレファレンス協同データベースでは、『日本民俗大辞典』の「くしゃみ」の項目をもとに、くしゃみは誰かの呪いによって起こり、吐息とともに霊魂を離脱させようとするものだと考えられた、という説明を紹介している。

ここで重要なのは、単に「息を吐けば自然に魂が抜ける」という話ではない点である。紹介されている説明では、外部の誰かが呪いをかけ、その結果としてくしゃみが起こり、魂が狙われるという構造になっている。

その災いを防ぐために唱える言葉が、「クソハメ」や「クサメ」だったとされる。つまり、まじないは失われかけた魂を呼び戻す言葉というより、呪いを相手へ返す「呪詛返し」として説明されている。

ただし、これは民俗辞典に収録された一つの説明である。日本全国で、すべての時代を通して共有されていた信仰とは確認できない。

くしゃみに関する俗信には、魂の離脱、他者からの呪い、噂の徴候、病気や死の前兆など、複数の解釈がある。それらを一つの世界観へまとめるのではなく、異なる伝承が併存していたものとして見る必要がある。

それでも、息と生命が近いものとして受け止められていた可能性は理解できる。呼吸が止まれば命も止まる。強い息が突然身体の外へ出れば、生命の一部まで失われるように感じられたとしても不思議ではない。

「くしゃみで魂が抜ける」という表現は、まったく根拠のない創作ではない。しかし、それを古代日本人全体の共通信仰として断定することもできないのである。


「糞食らえ」が命を守る言葉になった理由

「くさめ」の語源には、「くそはめ」、すなわち「糞を食らえ」に近い悪罵から生じたとする説がある。

長寿を願う「休息万命」と、相手を罵る「糞食らえ」では、意味が正反対に見える。しかし民俗資料を見ると、くしゃみに対して悪罵を発する習俗は、机上で作られた語源説だけではない。

『日本民俗大辞典』を参照した国立国会図書館のレファレンス事例には、奄美諸島の沖永良部島で、子どもが一度くしゃみをすると、大人が「くすくれー」と唱えた例が挙げられている。続けてくしゃみをすると「しーくれー」と言ったという。それぞれ、糞や小便を食らえという意味に解釈されている。

これは、くしゃみをした子どもを罵倒するための言葉ではない。子どもを襲ったと考えられる災厄や悪意へ、汚い言葉を投げ返す行為だったと説明されている。

悪いものに対し、あえて悪い言葉をぶつける。災厄を丁寧に説得するのではなく、強い口調で退去を命じる。悪罵は、相手を傷つける言葉であると同時に、魔除けの攻撃性を持つ言葉にもなり得た。

1993年に『天声人語』が読者から集めた例にも、沖縄の「クスクェー」、栃木県那須郡の「コノクソッタレ」、新潟県魚沼地方や大阪府などの「チクショウ」が紹介されている。これらは新聞読者から寄せられた記憶であり、厳密な民俗調査の結果とは区別する必要があるが、罵倒型の唱え言葉が近年まで記憶されていたことを示す資料にはなる。

「くさめ」が「くそはめ」から直接変化したと証明されたわけではない。しかし、くしゃみの後に悪罵を発する習俗が実際に記録されている以上、この説を単なる語呂合わせとして切り捨てることもできない。


滋賀の「オシマン」と、めでたい「トコマンザイ」

くしゃみに返されたのは、悪罵ばかりではない。

滋賀県湖北地方では、小さな子どもがくしゃみをすると、そばにいる者が「オシマン」と言わなければならなかったという記録がある。「惜しまぬ」と解釈されるこの言葉が、具体的に何を惜しまないという意味なのかは、紹介資料だけでは明確でない。

一方、「トコマンザイ」「とこ萬歳」といった、めでたい言葉を返す例も報告されている。国立国会図書館のレファレンス事例では、正月元日のくしゃみの後に「とこ萬歳」と唱える京都の例が紹介されている。

1993年に新聞へ寄せられた情報では、福島県安達郡、東京の下町、関西一円などでも「トコマンザイ」が記憶されていた。万歳という言葉には、長く栄えることや長寿を祝う意味がある。

悪罵型の言葉が災厄を攻撃して追い払うものだとすれば、「トコマンザイ」は健康や長寿を直接願う言葉である。

この違いから、くしゃみへの反応は大きく三つに分けられるとする整理もある。災いを罵って退ける撃退型、長寿や健康を願う健康祈念型、誰かの噂や思念と結びつける噂意識型である。

この分類は、すべての地域例を完全に説明するものではない。それでも、くしゃみをめぐる言葉が一種類ではなかったことを理解する助けになる。

「糞食らえ」と「万歳」は、言葉の意味だけを見れば正反対である。しかし、どちらもくしゃみをした者の無事を願うという目的を持つ。片方は災厄を追い出し、もう片方は生命を祝福する。

重要なのは、言葉の上品さではない。突然起きた身体の異変に対し、周囲の者が無言で終わらせず、すぐに定型句を返すこと自体に意味があったのである。


釈迦のくしゃみに長寿を願った仏教説話

くしゃみをした者に長寿を願う習慣は、日本の民間信仰だけに見られるものではない。

仏教の律や説話にも、釈迦のくしゃみをめぐる話がある。パーリ語の説話では、釈迦が説法中にくしゃみをすると、僧たちが大声で「世尊が生きられますように」「善逝が生きられますように」という趣旨の言葉を唱えた。声が大きく、説法の妨げになったため、釈迦はその行為を制止したとされる。

釈迦は、くしゃみの後に「生きよ」と言われたからといって、その言葉によって生死が決まるのかと僧たちに問う。僧たちは、そうではないと答える。

その後、在家者が僧のくしゃみに対して長寿を願う言葉をかけた際、僧が返答しなかったため、人々が不満を持ったという展開が続く。そこで、在家者の習慣に配慮し、長寿を願われた場合には、それに応じることが認められたとされる。

この説話は、くしゃみに対して「生きよ」「長く生きよ」と声をかける慣習が、仏教教団の周囲にも存在したことを示している。

ただし、この仏教説話が日本語の「くさめ」の直接の起源であると証明されたわけではない。インドの長寿祈願と、日本の中世文献に見える「休息万命」や「くさめ」の間には、音、伝播経路、成立時期を確認する作業が必要である。

似た意味を持つ習慣があることと、一方が他方の語源であることは別である。


弟子は本当に「クサンメ」と唱えたのか

浄土真宗本願寺派の公式サイトに掲載された「仏教語豆事典」では、釈迦がくしゃみをした際、弟子たちが「クサンメ」と唱えたという説明が紹介されている。

同記事は、「クサンメ」を古代インド語で長寿を意味する言葉とし、それが日本で「休息万命」などと音写され、さらに「クサメ」へ変化したという説を載せている。

この説明は分かりやすく、「くしゃみ」という言葉に長寿祈願が隠れているという魅力的な語源物語である。しかし、確認できるパーリ語の説話に現れる言葉は「Jīvatu」であり、「生きますように」「長く生きますように」という意味の動詞表現である。確認できた本文には、「クサンメ」という語形は現れない。

漢訳仏典や別系統の伝承を通じて異なる音が伝わった可能性を完全に否定することはできない。しかし、「クサンメ」が古代インド語で長寿を意味し、それがそのまま「くさめ」になったという説明を、確定した語源として示すことはできない。

ここには、仏教説話と日本のまじないを結びつけようとする、後世の解釈が含まれている可能性がある。

事実として確認できるのは、仏教説話に「釈迦のくしゃみに長寿を願う言葉を返した」という話が存在することである。

一方、「その言葉がクサンメだった」「休息万命はその音写だった」「そこから日本語のくさめが成立した」という部分は、出典や言語学的な変化をさらに検証しなければならない語源説である。

美しく整った語源ほど慎重に扱う必要がある。説明が魅力的であることと、史料によって証明されていることは同じではない。


仏教・漢文調の呪句・民間信仰は同じ起源なのか

「くさめ」の周囲には、異なる種類の資料が集まっている。

仏教説話には、くしゃみをした者の長寿を願う言葉がある。日本の中世文献には、「休息万命急々如律令」「千秋万歳急々如律令」という漢文調の呪句が紹介されている。民俗資料には、「くすくれー」のような悪罵と、「トコマンザイ」のような祝福の言葉が残る。

これらがすべて同じ起源から分かれたと考える必要はない。

人間が突然くしゃみをしたとき、その無事を願うことは、異なる地域でも独立して生まれ得る。病気や死を避けるために祝福する文化もあれば、災いを罵倒して追い払う文化もある。

日本では、仏教、漢文知識、道教的な呪句、陰陽道的な実践、土地ごとの民間信仰が、長い時間をかけて重なった。後世の辞書や解説書が、それらの似た部分を結びつけ、一つの語源として整理した可能性も考えられる。

「休息万命」と「くさめ」の音が似ているから、前者が後者の起源だと説明する。「クサンメ」と「くさめ」の音が似ているから、インドから伝わったと説明する。「くそはめ」と音が似ているから、悪罵が起源だと説明する。

いずれも、まったく根拠のない説ではない。しかし、音の類似だけでは、言葉が歴史的に変化したことを証明できない。

必要なのは、いつの文献に、どの表記で、どの意味として現れたのかを確認することである。その結果、「くさめ」の語源を一つに決着させることは難しいという結論に至る。

未解決であることは、調査の失敗ではない。口頭で唱えられる短いまじないは、公式記録に残りにくい。地域や家族の中で伝えられ、記録される頃には別の言葉と結びついていることもある。

由来を確定できないという事実そのものが、「くさめ」という言葉の性質を示しているのである。


日本版「Bless you」と呼べるのか

英語圏では、誰かがくしゃみをすると「Bless you」と声をかける習慣がある。ドイツ語圏では、健康を意味する「Gesundheit」が使われる。

日本の「くさめ」や「トコマンザイ」と同様に、突然のくしゃみに対し、周囲の人が定型句を返す構造である。国立国会図書館のレファレンス事例にも、英語圏やドイツの例が日本の唱え言葉とともに紹介されている。

その意味では、「くさめ」を日本版「Bless you」と紹介することは、習慣の形を分かりやすく説明する比喩にはなる。

ただし、両者が同じ起源を持つことを示す資料はない。くしゃみに言葉を返す行為が似ていても、宗教的背景、唱える言葉、災いの解釈は地域によって異なる。

また、日本の「くさめ」が現代の「お大事に」へ直接変化したという証拠も確認できない。

それでも、両者の間には興味深い共通点がある。身体から突然発せられた音に対し、周囲の人が相手の無事を願う言葉を返すことである。

まじないの効力を信じなくなった後も、くしゃみをした人に「風邪ですか」「お大事に」と声をかけることがある。そこに歴史的な直接継承を証明することはできないが、身体の異変を目撃した者が無言ではいられないという感覚は共通している。


なぜ「くさめ」は唱えられなくなったのか

現在の日本で、誰かがくしゃみをするたびに「くさめ」と唱える人はほとんどいない。

その理由を一つの出来事に求めることはできない。医学的な身体観の普及、まじないに対する意識の変化、地域共同体や家族内で伝えられていた言葉の衰退など、複数の要因が考えられる。

さらに大きいのは、「くさめ」という語そのものが、まじないではなく身体反応の名称へ変化したことである。

呪文としての意味を知らない者にとって、「くさめ」は古い形の「くしゃみ」にすぎない。言葉が動作の名前になった結果、言葉を唱えて災いを防ぐという本来の機能が見えなくなった。

一方、習慣が完全に消えたとも言い切れない。20世紀末の新聞には、全国各地から、くしゃみの後に唱えた言葉の記憶が多数寄せられている。地域や家庭によっては、比較的近年まで短い掛け声が伝えられていたのである。

まじないは、公式な儀式とは異なる。大掛かりな祭具も、専門の祭司も必要ない。誰かがくしゃみをした瞬間に、そばにいる人が一言唱えれば成立する。

その手軽さは伝承を長く残す一方、記録を残しにくくもする。唱える人がいなくなれば、物や建物を残さずに消えてしまうからである。


まとめ|「くさめ」は命をつなぐ言葉だったのか

『徒然草』第四十七段の老尼は、比叡山にいる養君がくしゃみをするかもしれないと考え、清水寺へ向かう道で「くさめ、くさめ」と唱え続けていた。

この逸話から確認できるのは、中世日本に、くしゃみを死の危険と結びつけ、まじないの言葉で防ごうとする考えが存在したことである。

国語辞典では、「くさめ」はくしゃみの際に唱えるまじないの言葉として記録され、その後、身体反応そのものを指すようになった可能性が示されている。現在の「くしゃみ」は、その「くさめ」が変化した語と説明される。

しかし、「くさめ」のさらに古い由来は確定していない。

「休息万命急々如律令」という延命の呪句から生まれたとする説がある。「くそはめ」という悪罵に由来するとする説もある。仏教説話の長寿祈願と結びつける説明もある。

いずれの説にも、関連を考えさせる資料がある。一方で、どれか一つを唯一の語源と断定できる証拠はない。

地域の唱え言葉も一様ではなかった。沖永良部島のように災厄を罵倒する例がある一方、「トコマンザイ」のように長寿と繁栄を願う言葉もあった。

祝福と罵倒は正反対に見える。しかし、その目的は共通している。突然のくしゃみによって生じたと考えられる危機から、その人を守ることである。

現代では、くしゃみをしても魂が抜けるとは考えない。「くさめ」を唱えなければ死ぬとも信じない。それでも、誰かのくしゃみに対して、健康を気遣う言葉を返すことはある。

『徒然草』の老尼が唱えていたのは、単なる迷信の言葉だったのだろうか。

それとも「くさめ」は、目に見えない危険から大切な者を守りたいという願いが、もっとも短い形になった言葉だったのだろうか。

正確な語源は今も一つに決着していない。しかし、由来の異なる複数の伝承の中心には、くしゃみをした者の命を気遣う行為が残っている。

呪文としての「くさめ」は消えても、身体の異変に言葉を返すという感覚までは、完全に失われていないのかもしれない。


参考文献・出典

※ウェブ資料の最終確認日:2026年7月19日

1.『徒然草』第四十七段
山梨県立大学・伊藤洋研究室「徒然草第47段」
https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure047.htm

2.小学館『精選版 日本国語大辞典』「嚔」
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%9A%94-483168

3.平凡社『世界大百科事典』「くしゃみ」
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%BF-3149685

4.島根県立図書館「くしゃみをした後で言う“まじない言葉”があれば、全国の例を知りたい」
国立国会図書館レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000080844

5.山田健三「『くさめ』から『くしゃみ』へ」
『名古屋大学国語国文学』第59号、1986年、1~10頁
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/2007543/files/nagujj_59_232.pdf

6.信州大学研究者総覧「山田健三」研究業績
https://soar-rd.shinshu-u.ac.jp/search/detail.html?lang=ja&systemId=OafmPUkF

7.常光徹『しぐさの民俗学―呪術的世界と心性』
ミネルヴァ書房、2006年、第8章「クシャミと呪文」237~258頁
書誌情報:
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784623046096

8.福田アジオほか編『日本民俗大辞典 上』
吉川弘文館、1999年、「くしゃみ」527頁
国立国会図書館サーチ:
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002839592

9.柳田國男「クシャミのこと(孫たちへの話)」
『定本 柳田國男集 第20巻』筑摩書房、1962年、458~466頁

10.『精選版 日本国語大辞典』「急々如律令」
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%80%A5%E3%80%85%E5%A6%82%E5%BE%8B%E4%BB%A4-3137383

11.国立歴史民俗博物館「火防護符」
https://khirin.rekihaku.ac.jp/pid/nmjh_collection/F-19-242.html

12.Ancient Buddhist Texts
“Bhaggajātakavaṇṇanā”
https://ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-Texts/K10-JA/155.htm

13.浄土真宗本願寺派「仏教語豆事典 くしゃみ」
※「クサンメ」語源説が現代に紹介されている例として参照
https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/words/002310.html

14.MSDマニュアル家庭版「鼻と副鼻腔」
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/19-%E8%80%B3-%E9%BC%BB-%E3%81%AE%E3%81%A9%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E8%80%B3-%E9%BC%BB-%E3%81%AE%E3%81%A9%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6/%E9%BC%BB%E3%81%A8%E5%89%AF%E9%BC%BB%E8%85%94

15.一般社団法人日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会「鼻の病気」
https://www.jibika.or.jp/modules/disease/index.php?content_id=21

Visited 4 times, 2 visit(s) today

スポンサーリンク

風俗

Posted by fake-lie-collection