【オカルト】経典と仏像を食い荒らす石の体と鉄の牙を持つネズミ「鉄鼠」
怨念が体を変異させ異形に化ける話は多いが、その中でもヤバいのが「鉄鼠」だろう。
鉄鼠とは
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[[ファイル:Yoshitoshi The Priest Raigo of Mii Temple.jpg|thumb|月岡芳年『新形三十六怪撰』より「三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図」。『源平盛衰記』の記述を忠実に描いたもの[2]。]]
鉄鼠(てっそ)は、平安時代の園城寺の僧、頼豪の怨霊とネズミにまつわる日本の妖怪だ。
この妖怪は、江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』で鳥山石燕によって名付けられ、『平家物語』の読み本『延慶本』では頼豪鼠(らいごうねずみ)、または三井寺鼠(みいでらねずみ)とも呼ばれている。
物語によると、頼豪は白河天皇のために皇子誕生の祈祷を行い、見事に成就させた。
しかし、その褒美として三井寺の戒壇院建立を願い出たものの、比叡山延暦寺の妨害により叶えられなかったことを怨み、100日の断食の末に悪鬼のような姿で亡くなってしまった。
その怨念が巨大な鼠と化し、延暦寺に現れて経典や仏像を食い荒らしたとされている。
『太平記』では、8万4千匹の石の体と鉄の牙を持つ鼠の群れとして描かれていることから「鉄鼠」の名前を連想させるようになる。
鉄鼠の伝承
鉄鼠に関するもう一つの興味深いエピソードは、頼豪が自分の祈祷で誕生した皇子・敦文親王を、今度は祈祷で魔道に落とそうとしたという話だ。
頼豪はこの計画のために断食を始め、100日後に悪鬼のような姿で亡くなった。
その後、敦文親王の枕元には妖しい白髪の老僧が現れるようになったとされている。
また、別の説では、鉄鼠は比叡山で高僧の法力で現れた大猫に退治されたとも言われている。
この話によると、園城寺の「鼠の宮」と対をなすように、大猫を祀った「猫の宮」が近江国滋賀郡坂本郷の坂本(現在の滋賀県大津市坂本)に建てられた。
これは、園城寺の方を睨みつけるように配置されていると伝えれている。
これらの伝承は、当時の天台宗2派の対立抗争を背景として生まれたと考えられており、特に多くの書物や経典を抱える寺院ではネズミの害が深刻な問題であったため、ネズミの存在が怨霊や妖怪伝説の元になったとされる。
※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ