【妖怪】鎌倉時代の妖怪「舞首」トリオで漫才を始める

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鎌倉時代の中期、小三太、又重、悪太郎という3人の武士が今でいう神奈川県に居た。

真鶴の祭りの日には酒宴が催されたが、博打と酒の力で舞い上がった3人は取っ組み合いの勢いで刀を振りかざし、切る切られるの武者喧嘩を繰り広げた。

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引用:江戸時代の大坂の浮世絵師竹原春泉斎 

 

激しい戦いの果てに3人は首を切られるてしまうが、首だけになっても争い続けた。

 

首だけになっても喧嘩を辞めず、海に落ちてもなお、相手の首に噛みつき喰う喰われるしているうちに、いつしか合体「舞首(まいくび)」となってしまい、火を吹き、罵りあいながらもなおも喧嘩を続ける怨霊となってしまった。

 

時代が移り変わり、室町時代、江戸時代、明治時代と続く中、舞首はその姿を変えずに喧嘩を続けた。

 

しかし、いい加減に酒の力を借りた喧嘩の熱も時代とともに冷め始め、昭和の時代には首から下に体が作れるようになり、舞首の喧嘩は「どつき漫才」へと変化した。

 

そして令和の時代、舞首は3人トリオ「舞首トリオ」としてどつき漫才の舞台に登場し、地方の海辺の会場を中心に回った。

 

その漫才の笑いには、舞首がかつての武者であった頃の荒々しさや奇抜なエピソード、そして現代では知りえない当時の時世の内容が多聞に織り交ぜられ、さらにどづく際には実際に使った刀を取り出して切り合うなど、歴史マニアや刀マニアに大変な人気となる。

 

また、本気で喧嘩していた時は大荒れになる海が、不思議なことに3人が漫才をすると、風も波も恐ろしいほど一つなく凪いでしまう不思議現象がみられるようになった。

 

これは天も舞首トリオのどづき漫才が面白くないと思っている証左だと言われている。

 

これに目を付けた海水浴場の管理者や港湾関係者が、海が荒れてほしくないときに舞首トリオを呼んで漫才をさせるようになるのは別の話。

 

 

 

 

※全て嘘で全て偽