【オカルト】日本最強の鬼「酒呑童子」は女の怨念から生まれた説

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日本最強の鬼として知られている「酒呑童子(しゅてんどうじ)」は、強さはもちろん酒好き・女好きとして知られているが実は・・・

酒呑童子とは?

酒呑童子は、日本の伝説に登場する最も有名な鬼の一人で、史上最強の鬼として知られている。

彼は丹波国(現在の京都府)と丹後国の境にある大江山に住んでいたと伝えられており、酒と女性を好む鬼の頭領だった。

酒呑童子は数多くの部下を従えており、その中には有名な茨木童子も含まれている。

平安時代には、酒呑童子とその一味は京都の都付近で暴れ回り、若い貴族の姫君を誘拐したり、人々を襲ったりして恐れられていた。

身長は約6メートル、角は5本あり、目が15あるという姿で描かれることもあるほど、恐ろしい鬼とされていた。

最終的には、摂津源氏の源頼光とその配下によって討伐されている。

頼光らは酒呑童子を神便鬼毒酒(しんべんきどくしゅ)という鬼の自由を奪うとされる酒を神から貰い、飲ませて酔わせ寝ている間に首を切り落とすという計略で彼を倒した。

ただ最強の鬼は伊達では無く、酒呑童子の首は切られた後も源頼光の兜に噛み付くなど、最後まで抵抗を続けたが倒されてしまった。

 

酒呑童子を斬った刀は現代にも残る超有名刀

酒呑童子を討伐した際に使用された刀は、「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」として知られている。

この刀は、天下五剣の一つとされ、源頼光が酒呑童子の首を切るのに使ったとの伝承が残っているとされる。

「童子切安綱」は平安時代中期に、源満仲が刀工の大原安綱に作らせた太刀で、数々の逸話や伝説が残っている。

その中でも特に有名なのは、源頼光が酒呑童子の首をはねたというエピソードだ。

頼光とその配下は山伏に扮して酒呑童子の住処に潜入し、神便鬼毒酒と呼ばれる毒酒を献上して酒呑童子を酔わせ、その隙に「童子切安綱」で首を刈り取ったとされる。

この刀は現在も東京国立博物館に所蔵されており、日本刀としての美しさもさることながら、その歴史的価値も高く評価されている。

また、この刀は「国宝第一号」の刀剣としても認定されていることから、日本の文化財としても非常に重要な存在でもある。

 

酒呑童子はこうやって鬼に成った説

もともと人間だった酒呑童子(当時は下道丸という名)は、以下の理由によって鬼に変わったとされるとされる。その中でも特に有名な説を紹介しよう。

 

美形であったが故の怨念

酒呑童子はもともと人間で、非常に美形だったとされている。彼に恋文を送った多くの女性たちがいたが、酒呑童子はそれらを一切読まずに焼き捨ててしまったため、恋心を踏みにじられた女性たちの怨念によって鬼にされたという説がある。

血の味を覚えたこと

酒呑童子は床屋の手伝いをしていた際に、客の切り傷から流れる血をなめ、その味を覚えてしまった。異常な習癖に気づいた彼は、自分が鬼の形相をしていることを知り、人間世界での生活を諦め、大江山の鬼たちの中に入っていったとされる。

神話的な出自

酒呑童子は伊吹山の大明神(ヤマタノオロチ)の子として生まれ、放浪の末に大江山に住み着いたという説がある。日本の神話的な背景が酒呑童子(下道丸)が鬼となった理由に関連している可能性があ下られる。

 

これらの説は、酒呑童子がどのようにして鬼に変わったのかについての伝承であり事実ではない。

 

 

※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ