【オカルト】俵藤太の武勇を語る上で外せない妖怪「大百足」

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俵藤太(たわらのとうた)の武勇を語る上で外すことが出来ない妖怪「大百足」についてご紹介しよう。

大百足とは


Katsukawa Shuntei (1770-1820) – この画像はアメリカ合衆国議会図書館印刷物・写真部門から入手できます。デジタル識別子は jpd.01606 です。このタグは、添付された著作物の著作権状況を示すものではありません。通常の著作権タグも必要です。Commons:ライセンシングもご覧ください。, パブリック・ドメイン, リンクによる

[[ファイル:Fujiwara no hidesato no mukade taiji LCCN2008660436.tif|thumb|藤原秀郷の百足退治。中央に龍女、左は藤原宿祢。勝川春亭画。1815年頃]]

 

 

大百足(おおむかで)は、日本各地に伝承が残る巨大なムカデの妖怪だ。

特に滋賀県近江国では、俵(藤原)藤太がこれを退治した伝説が知られており、日本だけでなく韓国などアジア各地にも存在しており、単に「百足」とも表記される。

大百足は蛇や竜と敵対する存在として描かれており、その武勇伝は後世にも語り継がれている。

 

滋賀県近江国の伝説によれば、若かりし日の藤太(俵藤太)は、ある日近江の国(滋賀)の橋に大蛇が出て通れないという話を聞き、早速退治しようと意気込んで出かけた。

人々が恐れる中、藤太は躊躇いなく大蛇をまたぎ、悠々と歩き去ったという。

その晩、藤太の家に美しい娘が現れ、娘は琵琶湖に住む龍神の娘で大蛇に化けて勇者を捜していたと告白をする。

娘は三上山に山を七巻き半するほどの超巨大なムカデが出没し、龍神の一族を迫害していると伝え、これに対し藤太は「退治してやる」と快諾したそうだ。

 

藤太は山に向かい、娘の言う通り大百足が巻き付いていた。

人里に下りる前に始末しようと弓矢を打ち込んだが、硬い皮膚に弾かれびくともせず、とうとう矢は最後の一本になった。

そこで藤太は百足は人の唾液を嫌うことを思い出し、矢に唾を吐きかけ、八幡大菩薩に祈り、渾身の矢を放った。

矢は百足の脳天に突き刺さり、悶え苦しんだ百足はそのまま倒れ込み、藤太は勝利を収めた。

大百足を倒した藤太は竜宮に招待され、飛んできた矢を自動的に避ける「避来矢(ひらいや)」と呼ばれる鎧を授かった。

 

この伝説は、関東でも赤城山(群馬県)の神が百足、男体山(栃木県)の神が白蛇とされ、二柱が戦った場所が戦場ヶ原と呼ばれるようになったと言われている。

大百足の気になる大きさ

伝説から紐解く大百足の大きさを紹介しよう。

 

大きさ

大百足は非常に大きく、山を七巻き半するほどの長さがあるとされている。その巨体は人々を驚かせた。

多くの足

百足と書くようにオオムカデにも多くの足を持っていると言われている。足の数は伝説によって異なるが、多くの場合、百足以上の足を持っているとされている。

硬い皮膚

弓矢で攻撃されても、硬い皮膚によって弾かれてしまうほど頑丈だ。藤太は最後の一本の矢に唾をつけて放ち、その脳天に突き刺した。

 

こうやって見ると、弓矢一本で倒せるような妖怪では無いので、武勇を大げさに喧伝した結果で実は百足と呼ばれる人間ではないかと邪推する。

じゃなければ弓矢1本で倒せるとは到底思えない。

 

 

※全て嘘で全て偽、信じるかはアナタ次第だ