※本サイトはプロモーションが含まれます。

【風俗】秋田の鹿島流しとは?厄を背負う人形と「鹿島様」の謎【秋田県】

秋田県には、人の姿をした藁人形や武者人形を舟に乗せ、川や海へ送り出す「鹿島流し」「鹿嶋祭」と呼ばれる行事が各地に残されている。

人形を流す目的だけを見れば、災厄を集落の外へ送り出す「厄送り」の一種と理解することは難しくない。実際、男鹿市北浦では祭りの前から鹿島人形を一軒ずつ回し、人形に地域の「悪いもの」を背負わせたのち、海へ流すと伝えられている。

ところが、ここで奇妙な問題が生じる。

北浦には、海へ流した鹿島船が漂着した浜ではハタハタが豊漁になるという伝承まで残されているのである。送り出した側では「悪いもの」を背負った人形が、別の浜へ着くと豊漁をもたらす存在として語られることになる。

さらに秋田県内には、人形を流すのではなく、村境や神社に立てて疫病の侵入を防ごうとする「人形道祖神」も集中して分布する。カシマサマ、ショウキサマ、ニンギョウサマなど名称は土地によって異なるが、秋田公立美術大学によれば、頭部だけを祀る例まで含めると県内150カ所以上が確認されている。

一方は村の外へ送られる。

もう一方は村の境界に立ち続ける。

しかも、その双方に「カシマ」という名を持つ人形が存在する。

厄を背負わせて流す人形と、厄を防ぐために立てる人形は、本当にまったく別の信仰なのだろうか。

秋田の鹿島流しを追っていくと、単なる「珍しい祭り」の紹介では終わらない。そこには、疫病、農耕、海、村境、鹿島神信仰、虫送り、そして人形に災厄を託すという古い民俗が複雑に重なっている。

秋田各地に残る鹿島流しでは、武者姿の鹿島人形を舟に乗せ、川や海へ送り出す。男鹿では人形に災厄を背負わせる一方、漂着先には豊漁をもたらすという伝承も残る。人形道祖神、鹿島信仰、虫送り、菅江真澄の記録から、鹿島人形の正体と地域差を探る。

鹿島流しとは何か――武者人形を舟に乗せて送る行事

秋田県で「鹿島流し」と呼ばれる行事は、一カ所だけに伝わる単一の祭礼ではない。

地域ごとに開催時期、人形の姿、舟の形、願いの内容、流す場所が異なる。名称も「鹿島流し」「鹿嶋祭」「鹿島祭」など一定ではない。

そのため、「鹿島流しとはこういう祭りである」と一つの形式だけで説明すると、実態を取りこぼしてしまう。

大曲では五穀豊穣と悪疫退散を願う

代表的な事例の一つが、現在の大仙市大曲地域に伝わる鹿島流しである。

国土交通省がまとめた雄物川水系の祭礼資料によれば、大曲、花館、内小友、藤木、角間川などで、田植えが終わった時期に鹿島流しが行われてきた。

大曲では「鹿島サン」と呼ばれる色鮮やかな武者人形を鹿島船に乗せ、川へ流す。船に立てる幟には、五穀豊穣、悪疫退散、町内安全などの願いが記される。大曲小学校では地域の伝統文化を学ぶ学校行事としても継承されてきた。

ここで重要なのは、人形が武者の姿をしていることである。

一般的な形代や流し雛のように、人間を簡略化した紙人形を水へ流すのとは印象が異なる。鹿島サンには衣装が与えられ、武者として目に見える姿が作り込まれる。

それは単なる「不要になった身代わり」を処分しているようには見えない。

人形は願いを託され、祭りの中心として町を巡り、その後に水上へ送り出される。

この「送り出す」という行為こそ、鹿島流しを考える最初の鍵である。


人形に託されるのは何か――男鹿市北浦の鹿島祭り

鹿島人形が何を背負う存在なのかを、より明確に伝えているのが男鹿市北浦の鹿島祭りである。

北浦の鹿島祭りは男鹿市指定の無形民俗文化財で、毎年7月に行われてきた。男鹿市の文化財解説によると、北浦では鹿島神を漁師の神として信仰し、海上安全や大漁を祈願する。

祭りの一週間前から人形が家々を回る

北浦では、祭りの一週間ほど前から鹿島人形を一軒ずつ回す。

市の解説には、この過程で人形が各戸の「悪いもの」を背負うという意味が伝えられている。

つまり、祭り当日になって突然人形を海へ捨てるわけではない。

人形はまず地域社会の内部を移動し、それぞれの家が抱える災いや穢れを引き受ける役割を与えられる。

祭り当日になると、その鹿島人形を神社境内の鹿島船に安置する。

鹿島船は町内を巡行したのち北浦漁港から沖へ向かい、鹿島人形が海へ流される。

構造だけを取り出せば分かりやすい。

家々の災厄を人形へ移す。

その人形を集落から運び出す。

そして海の向こうへ送り去る。

これは、災厄を共同体の外へ移動させる「厄送り」として理解できる。

しかし北浦の伝承は、そこで終わらない。

漂着した浜ではハタハタが大漁になるという伝承

男鹿市は、流された鹿島船が着いた浜ではハタハタが大漁になるといわれていることも記録している。

ここに鹿島流しの不思議さが凝縮されている。

人形は確かに「悪いもの」を背負っている。

それならば、漂着した場所に災厄を運んでしまうと考えてもおかしくない。

ところが伝承では逆である。

船の漂着が豊漁の兆しとして語られる。

もちろん、本当に鹿島船の漂着によって漁獲量が増えるという意味ではない。ここで扱うべきなのは、その因果関係ではなく、なぜそのような伝承が成立したのかという信仰上の意味である。

送り手にとっての「厄を運び去る人形」が、受け手にとって必ずしも忌避すべき存在ではない。

人形に託された力は、単純な「悪」ではなかった可能性が浮かび上がる。


なぜ「鹿島」なのか――茨城県の鹿島神との関係

「鹿島流し」という名前を聞けば、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を連想する。

実際、東北地方の鹿島行事を説明する際には、鹿島神・香取神の信仰が東北へ伝わったという説が繰り返し登場する。

しかし、ここには慎重さが必要である。

秋田の鹿島流しが鹿島神宮の特定の祭礼からそのまま移植された、と断定できるわけではない。

鹿島神宮の祭神は武甕槌大神

鹿島神宮の祭神は武甕槌大神である。

鹿島神宮の公式由緒では、武甕槌大神は国譲り神話に関わる神として説明され、中世から近世にかけて武将からも崇敬され、武神として信仰されたとしている。

鹿島流しの人形が武者姿を取ることを考えれば、この武神的な性格との関連を想定したくなる。

ただし、「武者人形だから武甕槌大神そのものである」という短絡は避けなければならない。

地域の祭礼では、外から入ってきた神名が、もともと存在した疫病除け、農耕儀礼、虫送りなどと結びつき、別の性格を持つようになることが珍しくない。

鹿島流しについても、まさにその可能性を考える必要がある。

鹿島の神と「船」自体には古い関係がある

興味深いのは、鹿島神宮そのものにも船を用いる祭祀の伝統があることである。

鹿島神宮では現在も12年に一度の御船祭が行われている。神宮の公式解説では、『常陸国風土記』に毎年舟を造って奉納した趣旨の記述があるとして、鹿島の神と船との結びつきを古いものと説明している。

しかし、この事実から秋田の鹿島船を直接導き出すこともできない。

鹿島神宮の御船祭は神を奉じて水上を巡幸する祭礼であり、災厄を背負った人形を川や海へ送り出す秋田の鹿島流しとは儀礼の構造が異なる。

「鹿島」「神」「船」という共通点はある。

だが、同じ起源だと証明されたわけではない。

この距離を保つことが、鹿島流しを正確に見るためには重要である。


秋田には「流さないカシマサマ」もいる

秋田の鹿島流しをさらに複雑にする存在が、人形道祖神である。

秋田公立美術大学は、人形道祖神について、藁や木で作られ、集落へ疫病が入ってこないよう村境や神社などに祀られる人形の神と説明している。

名称はショウキサマ、ニンギョウサマ、カシマサマなど地域によって異なる。

2025年に同大学が開催した「人形道祖神と鹿島行事」の案内では、人形の頭部のみを祀る例も含め、県内150カ所以上で確認されているとしている。

村境に立ち、災いの侵入を防ぐ

鹿島流しが人形を地域の外へ送る祭礼だとすれば、人形道祖神は逆方向の働きを持つように見える。

村境に立ち続け、外から来る疫病や悪霊を防ぐのである。

いわば鹿島流しが「中にある災厄を外へ出す」ものなら、人形道祖神は「外にある災厄を中へ入れない」ものとなる。

二つの儀礼は、動きだけを見れば正反対である。

にもかかわらず、人形道祖神の中には「カシマサマ」と呼ばれるものがある。

ここで再び「鹿島」という名前が現れる。

「人形立て」と「鹿島流し」は現在も研究対象である

この問題は、単なる言葉遊びではない。

郷土史研究者の小松和彦は、2024年の『秋田公立美術大学研究紀要』第12号に「秋田県における人形立てと鹿島流しについての一考察」を発表している。

論文のキーワードには人形道祖神、民俗行事、菅江真澄、民間信仰、秋田県などが挙げられており、秋田に集中する二種類の人形行事を考察対象としていることが確認できる。

さらに2025年には秋田公立美術大学で、民俗学者の神野善治、小松和彦、新屋鹿嶋祭保存会関係者らによるシンポジウム「人形道祖神と鹿島行事」が開催された。

つまり、「立てる人形」と「流す人形」の関係は、現在でも検討が続いている問題なのである。


菅江真澄が記録した「疫病を防ぐ人形」

秋田の人形信仰が近年になって突然生まれたものではないことを示す重要な資料が、江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の記録である。

菅江真澄は各地を歩き、その土地の生活、祭礼、信仰、景観などを文章と図絵に残した人物である。

現在の秋田県内を巡った記録には、村境などに祀られた人形も描かれている。

名称が違っても「疫病を避ける」という共通点を見ていた

アーツセンターあきたが公開した研究紹介では、菅江真澄の記録を検討した小松和彦が、真澄は平鹿地方の鹿島人形、草二王、牛頭天王、比内の避疫神など、姿や素材、名称が異なる人形を、疫病を避けるための信仰という共通点から見ていたと説明している。

これは重要な指摘である。

現代の私たちは「カシマサマ」「ショウキサマ」「ドジンサマ」と名前が違えば、別々の神として分類したくなる。

しかし、地域社会での機能に注目すると、共通する構造が見えてくる。

村の入口や境界に人形を置き、疫病や災厄が内部へ入るのを防ぐ。

あるいは人形を地域内で巡らせ、災厄を背負わせて外へ送る。

形は違っても、人形と災厄の間に特別な関係が設定されているのである。

1807年には木製の「避疫神」が記録されている

秋田の森林・林業情報を扱う「あきた森づくり活動サポートセンター」は、菅江真澄が1807年に現在の大館市雪沢付近で見た人形について紹介している。

記録されたものは、道のそばに置かれた木製の人形で、赤く塗られ、武人を思わせる姿をしていたという。真澄はこれを疫病を防ぐ神として記録したとされる。

鹿島流しそのものの直接的な起源を証明する資料ではない。

しかし少なくとも、江戸時代の秋田に、武人的な姿を持つ人形を疫病除けと結びつける信仰が存在していたことを考える手がかりになる。

人形、武者、疫病除けという要素は、ここでも重なってくる。


海と川では鹿島人形の意味も変わる

鹿島流しを一つの起源だけで説明しにくい理由は、地域によって願いの内容が大きく変わることにもある。

内陸の農村と沿岸の漁村では、人々が日々直面する危険も、神に願うものも同じではない。

内陸では田植えと五穀豊穣

大仙市大曲周辺の鹿島流しは、田植えを終えた時期に行われてきた。

五穀豊穣や悪疫退散、町内安全を願って鹿島船を流すという構成からは、農耕の周期と結びついた祭礼としての性格が見えてくる。

田植えという一年の大きな作業が終わった時期に、人々は収穫までの無事を願う。

病気が流行しないこと。

作物が育つこと。

集落が平穏であること。

鹿島船には、そうした複数の願いが一つに積み込まれている。

海辺では海上安全と大漁祈願

一方、男鹿市北浦では鹿島神が漁師の神として信仰され、海上安全と大漁満足が祈願される。

同じ「鹿島」でありながら、ここでは田畑より海の問題が前面に出る。

漁業にとって海は恵みの場所であると同時に、事故や遭難をもたらす危険な空間でもある。

しかも北浦では、地域の悪いものを背負わせた人形そのものを、その海へ送り出す。

災厄を排除する場所と、豊漁を願う場所が同じ海なのである。

この二重性が、漂着した鹿島船と豊漁を結びつける伝承とも響き合う。

海は単なる「捨て場所」ではない。

人間の領域から離れたものを受け取り、別の意味を帯びて返してくる場所でもあったのではないか。


秋田県境を越えた鹿島祭――青森県深浦町

鹿島行事は秋田県内だけに閉じたものではない。

秋田県北西部から日本海沿いに県境を越えた青森県深浦町にも、「岩崎の鹿島祭」が伝わっている。

青森県指定無形民俗文化財であり、松神、大間越、黒崎の各地区で行われている。

北前船を模した舟に人形を乗せる

青森県の文化財解説によれば、岩崎の鹿島祭では北前船を模した小型の舟を作り、人形、帆、飾りなどを据える。

舟は笛や太鼓の囃子とともに集落内を巡行する。

希望する家などでは舟を寄せ、祭礼の所作を行い、最後には舟を海へ流す。

秋田の沿岸部に見られる鹿島流しと、非常によく似た構造である。

青森県の資料も、この岩崎の鹿島祭を秋田県内の鹿島流しと同系統のものとして説明している。

しかし、その解説にはさらに興味深い一文がある。

「鹿島信仰」と「虫送り」が混ざった可能性

青森県によれば、祭りは茨城県鹿島地方から伝わったともいわれるものの年代は不明で、大間越には鹿島・香取信仰とともに江戸初期に伝えられたという伝承がある。

ここで注意したいのは、県の資料がこれを確定した歴史的事実ではなく、地域に伝わる説として記している点である。

さらに同資料は、岩崎の鹿島祭に見られる太刀振りなどについて、津軽地方の「虫送り」と習合したものと考えられるとしている。

これが鹿島行事の複雑さをよく示している。

外から鹿島・香取の神名や信仰が入ってきたとしても、それだけで現在の祭りが完成したとは限らない。

地域にもともとあった虫送りや厄送りの行事と接触し、混ざり合い、新しい祭礼へ変化していった可能性がある。


虫送りと鹿島流しはなぜ似ているのか

かつて農作物に大きな被害をもたらす害虫は、現代のように農薬で容易に防げる存在ではなかった。

そのため各地では、虫を集落や耕地の外へ送り出す「虫送り」と呼ばれる行事が行われてきた。

地域によっては人形、松明、太鼓、囃子、行列などが用いられる。

重要なのは、「害をもたらすものを共同体の外へ送る」という構造である。

鹿島流しにも、よく似た構造が見える。

災厄を人形へ負わせる。

人形を集落内で動かす。

川や海を通して地域の外へ送る。

青森県の文化財資料が岩崎の鹿島祭と津軽の虫送りとの習合を指摘していることからも、鹿島行事を鹿島神信仰だけで説明するのは難しい。

神名は「鹿島」であっても、祭りの身体には各地の古い厄送りの作法が残っている可能性がある。

逆に、もともと行われていた厄送りや虫送りに「鹿島」という神格や名称が結びついた地域もあったのかもしれない。

ただし、その形成過程をすべての地域で同じものとして断定できる史料は確認されていない。

鹿島流しは、単一の起源から枝分かれした祭りというより、異なる信仰や儀礼が地域ごとに重なった「行事群」と考えた方が、その多様性を理解しやすい。


「流す人形」と「立てる人形」は何が違うのか

ここまで見ると、最初に提示した疑問へ戻ることができる。

なぜ秋田では、ある人形は川や海へ流され、ある人形は村境に立てられるのか。

両者は正反対に見えるが、目的まで正反対ではない。

共通しているのは「境界」である

人形道祖神は村境に置かれる。

外から来る疫病や災いを、そこで食い止める。

鹿島流しでは、人形を集落から川や海へ運び出す。

内部にある災いを、境界の外へ移動させる。

つまり双方とも、中心になっているのは「境界」である。

災厄がこちら側へ入ってくるのか。

こちら側から出ていくのか。

その方向が違うだけで、人形は人間の生活圏と、その外側の間に置かれている。

秋田の人形信仰を考える際、この境界性は無視できない。

人形は単なる道具ではない

もう一つ共通するのが、人形そのものに強い存在感が与えられていることである。

大曲の鹿島サンは武者姿で作られる。

人形道祖神も、人間を思わせる顔、腕、衣服、武器などを備えるものがある。

北浦では人形が一軒ずつ家を回り、悪いものを背負う。

人形を単なる容器と考えるだけでは、この扱いの重さを説明しにくい。

それは神そのものなのか。

災厄を吸収する身代わりなのか。

神を招く依代なのか。

地域や時代によって、その答えは変わった可能性がある。

だからこそ「鹿島人形とは何者なのか」という問いには、一つの答えを与えにくいのである。


現代まで残る鹿島行事――形を変えながら続く民俗

民俗行事は、一度完成した形式が何百年もそのまま保存されるものではない。

担い手の減少、学校教育との連携、河川環境への配慮、地域社会の変化によって、開催方法も変わっていく。

大曲の鹿島流しが学校行事として継承されてきたことは、その一例である。

また秋田公立美術大学が2025年に「人形道祖神と鹿島行事」をテーマにシンポジウムを開催したことからも、これらの行事が単なる過去の遺物ではなく、現在の地域文化として研究・継承の対象になっていることが分かる。

秋田県立図書館の郷土関係雑誌記事索引には、辻永昇「フォト・フォークロア⑤鹿島流し」が『北方風土』第5号、1982年に掲載されたことも記録されている。少なくとも数十年前の地域資料から現在の研究まで、鹿島流しは継続的に記録されてきた題材なのである。

祭りの形が変わることは、必ずしも伝統が失われたことを意味しない。

むしろ、何を残し、何を変えるのかという選択そのものが、現在の鹿島行事の一部になっている。


まとめ――厄を背負った人形は、なぜ福を運ぶのか

秋田の鹿島流しを「災厄を人形に託して川や海へ流す祭り」と説明することはできる。

だが、それだけでは十分ではない。

大仙市大曲では、鹿島サンを乗せた舟に五穀豊穣、悪疫退散、町内安全などの願いが託される。

男鹿市北浦では、人形が一軒ずつ家を回って悪いものを背負い、海へ流される。その一方で、漂着した浜ではハタハタが大漁になるという伝承が残る。

秋田県内の村境には、流されることなく疫病の侵入を防ぎ続けるカシマサマなどの人形道祖神が多数残る。

県境を越えた青森県深浦町では、鹿島信仰と結びついたとされる祭りに、津軽地方の虫送りが習合した可能性まで指摘されている。

ここから見えるのは、「鹿島流し」という一つの明快な起源ではない。

鹿島神への信仰。

疫病を防ぐ人形。

害虫や災厄を外へ送る儀礼。

農耕の祈り。

海上安全と大漁祈願。

村の内と外を分ける境界意識。

それらが土地ごとに異なる割合で重なり合い、人形と舟を用いる鹿島行事になった可能性である。

そして最も興味深いのは、北浦に残る漂着船の伝承だろう。

送り手は、人形に「悪いもの」を背負わせる。

だが、その人形が辿り着いた先では、豊漁をもたらすものとして語られる。

災厄と福。

追放されるものと迎えられるもの。

人形と神。

その境界は、現代人が想像するほど明確ではなかったのかもしれない。

村から送り出された鹿島人形は、本当に「厄」だけを運んでいたのだろうか。

その問いは、人形が水の彼方へ消えた後にも残り続ける。


参考文献・出典URL

男鹿市「北浦の鹿島祭り」
北浦における鹿島神信仰、各戸を回る鹿島人形、悪いものを背負わせるという伝承、海上安全・大漁祈願、漂着浜でのハタハタ豊漁伝承を確認する主要資料。
男鹿市「北浦の鹿島祭り」

青森県「岩崎の鹿島祭」
松神・大間越・黒崎の鹿島祭、北前船型の舟、鹿島・香取信仰に関する伝承、津軽の虫送りとの習合説を確認する資料。
青森県「岩崎の鹿島祭」

秋田公立美術大学「シンポジウム『人形道祖神と鹿島行事』開催」
秋田県内に150カ所以上確認される人形道祖神と、鹿島流しとの関係を確認する資料。
秋田公立美術大学「人形道祖神と鹿島行事」

小松和彦「秋田県における人形立てと鹿島流しについての一考察」『秋田公立美術大学研究紀要』第12号、2024年、15–28頁
CiNii Research書誌情報。人形道祖神、鹿島流し、菅江真澄、民間信仰を扱う近年の研究。
CiNii Research 書誌情報

国土交通省「一級水系に関する祭りリスト」
雄物川水系・丸子川の鹿島流しについて、鹿島サン、五穀豊穣、悪疫退散、町内安全などを確認する資料。
国土交通省「一級水系に関する祭りリスト」

鹿島神宮「御由緒・御祭神」
祭神・武甕槌大神と鹿島神信仰の基礎情報。
鹿島神宮「御由緒・御祭神」

鹿島神宮「平成二十六年 御船祭」
鹿島の神と舟の関係、『常陸国風土記』に関する神宮側の解説を確認する補助資料。
鹿島神宮「平成二十六年 御船祭」

アーツセンターあきた「菅江真澄をたどるプロジェクト 最も古い形態の人形道祖神を記録した観察眼」
菅江真澄が記録した平鹿の鹿島人形などと疫病除けの関係を検討する資料。
アーツセンターあきた「菅江真澄をたどるプロジェクト」

秋田県立図書館 郷土関係雑誌記事索引 辻永昇「フォト・フォークロア⑤鹿島流し」
『北方風土』第5号、1982年、1–6頁。鹿島流しを扱った地域資料の書誌情報。
秋田県立図書館「フォト・フォークロア⑤鹿島流し」

Visited 1 times, 1 visit(s) today

スポンサーリンク

風俗

Posted by fake-lie-collection