※本サイトはプロモーションが含まれます。

【風俗】薩摩硫黄島のメンドンとは何か――枝で魔を祓い、海へ「悪いもの」を追い出す八朔の仮面神【鹿児島県三島村】

鹿児島県三島村の薩摩硫黄島では、旧暦8月になると、巨大な面をかぶった異形の存在が現れる。

その名は「メンドン」。

蓑をまとい、大きな面をつけ、手には枝葉を持つ。熊野神社前で太鼓踊りが行われている最中、メンドンは突然その場へ走り込み、踊り手の周囲を駆け、見物人の間へ入り込む。そして手にした枝葉で人々を叩いていく。

普通に考えれば、叩かれることは避けたいはずである。

ところが、この行事では逆だ。

メンドンに叩かれると「魔が祓われてよい」と伝えられている。

しかもメンドンの役割は、人を叩くだけでは終わらない。翌日には太鼓踊りとともに島を巡り、海に向かって「島中の悪いもの」を追い祓う。

神社から現れ、人の身体に触れ、集落を巡り、最後には海へ災厄を送り出す。

この一連の動きは何を意味しているのだろうか。

メンドンは2017年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2018年には「来訪神:仮面・仮装の神々」の一つとしてユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載された。

しかし、男鹿のナマハゲや甑島のトシドンのような、家々を訪れて人を戒める来訪神とは様子がかなり違う。

なぜメンドンは踊りへ乱入するのか。

なぜ枝で人を叩くのか。

そして、なぜ最後に「悪いもの」を海へ追い出すのか。

薩摩硫黄島に残る八朔の行事を、文化庁や三島村、ユネスコの記録から追っていく。

薩摩硫黄島のメンドンとは何か

薩摩硫黄島のメンドンは、鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島に伝承されている仮面神である。

文化庁の国指定文化財等データベースでは、「薩摩硫黄島のメンドン」は風俗慣習・年中行事に分類され、毎年旧暦8月1日と2日に公開される行事として記録されている。

行事の中心となるのが「八朔太鼓踊り」である。

「八朔」とは旧暦8月1日のことで、「八月朔日」を縮めた呼び方である。薩摩硫黄島では、この八朔を中心とした二日間に太鼓踊りが行われ、その最中にメンドンが姿を現す。

文化庁はメンドンについて、奇怪な姿をもち、畏れられる存在でありながら、人々の邪気を追い祓う神として記録している。

怖がられる存在と、人を守る存在。

メンドンには最初から、この二つの性格が重なっているのである。

本土の来訪神とは違う「夏・秋の神」

メンドンが現れる時期にも特徴がある。

文化庁が重要無形民俗文化財への指定を検討した際の資料では、本土の来訪神に冬から春に現れるものがみられるのに対し、メンドンは「八朔という夏・秋の時季」に現れることが重要な特徴として挙げられている。

つまりメンドンは、単に南の島に伝わるナマハゲのような存在ではない。

現れる季節そのものが異なるのである。

旧暦8月は、夏から秋へ移っていく時期でもある。

文化庁も、この季節の節目に神が訪れ、人々の災厄を祓い、幸いをもたらす行事としてメンドンを位置づけている。

ここで重要なのは、「八朔だから必ずこの意味がある」と後世から単純化しないことである。

確認できるのは、メンドンが八朔行事に登場し、文化財としての評価でも「夏・秋の時季」に現れる来訪神であることが特徴とされている、というところまでだ。


巨大な面は農作業の籠から作られる

メンドンの姿は、一見しただけでも強烈である。

文化庁の資料では、若者や子どもたちがメンドンに扮し、蓑を身につけ、大型の面をかぶると説明されている。

この面には、意外な材料が使われている。

「テゴ」と呼ばれる農作業用の背負籠である。

テゴを骨格にした異形の面

文化庁の詳細な調査記録によると、メンドンの面はテゴを本体とし、竹ヒゴを組み込んだうえで紙を貼って作られる。

つまり最初から祭具として作られた専用の木彫面ではない。

島の生活に身近だった農具が、巨大な仮面の骨格になるのである。

現在残されているメンドンの写真を見ると、通常の人間の顔よりはるかに大きく、赤、黒、白などを組み合わせた強い模様が施された面を見ることができる。

顔を隠すというより、かぶった人間そのものを別の存在に変えてしまうような大きさである。

そして身体には蓑をまとい、人間の日常的な外見を覆い隠す。

仮面だけではなく、身体全体を異形化することで「メンドン」という存在が成立するのである。

手に持つ「スッベ」

メンドンが手にする枝葉は、文化庁資料では「スッベ」と記されている。

一方、三島村や硫黄島八朔太鼓踊り保存会の資料には「スッベン木」という表記もみられる。

表記には違いがあるが、いずれもメンドンが手に持ち、人々を叩くために用いる木の枝である。

保存会がユネスコへの推薦に際して提出した文書では、この木は島で神聖なものと考えられていることも説明されている。

ただし、そこから直ちに特定の樹種そのものに超自然的な力があると解釈することはできない。

資料から確認できるのは、この枝が儀礼の中で邪気を祓う道具として扱われていることまでである。


八朔太鼓踊りの最中、メンドンは突然走り込んでくる

メンドンの登場は静かなものではない。

旧暦8月1日の夕方、熊野神社前で若者たちが輪になり、八朔太鼓踊りを演じる。

三島村によると、踊り手は矢旗を背負い、太鼓を身につけ、鉦を鳴らしながら歌う「鉦叩き」を中心として踊る。

そこへ突然、メンドンが現れる。

文化庁の記録では、まず一体のメンドンが拝殿奥から走り込み、踊り手の周囲を三周した後、その場を去る。

それで終わりではない。

最初のメンドンが去ると、今度は複数のメンドンが次々と姿を現す。

神なのに、踊りを邪魔する

メンドンたちは太鼓踊りの周囲を静かに歩くわけではない。

踊りを邪魔し、飲食をしている見物人の間へ入り込み、悪戯をする。

文化庁の記録でも、メンドンが忙しく駆け回る様子が詳しく残されている。

神聖な祭礼の最中に現れる神でありながら、その行動は秩序を保つ方向には向かわない。

むしろ、祭りの場を意図的に乱していく。

これはメンドンの最も興味深い特徴の一つである。

一般的に「神事」と聞けば、静粛さや厳粛さを想像しやすい。

しかし日本の民俗行事には、笑い、悪戯、追跡、騒音、身体への接触など、一見すると無秩序に見える行為を儀礼の中に組み込んだものも存在する。

メンドンも、そのような行事の一つとして理解する必要がある。

乱暴に見えることと、儀礼として意味を持つことは矛盾しない。

むしろ、その乱暴さそのものが、人間の日常とは異なる存在が現れたことを可視化しているのである。


なぜメンドンは人を枝で叩くのか

メンドンが現れると、人々は手にした枝葉で叩かれる。

この行為こそ、メンドンを初めて知った人が最も疑問に感じる部分だろう。

なぜ神に叩かれる必要があるのか。

文化庁の説明は明確である。

メンドンの枝葉で叩かれると「魔が祓われてよい」と伝えられている。

つまり叩く行為は、罰を与えるためではない。

邪気を祓う行為なのである。

「襲う」ように見えて「祓っている」

外から見れば、巨大な仮面をつけた人物が枝を振り回し、人々を追って叩いているように見える。

しかし島の行事の内部では、その意味が逆転する。

叩かれる側に災厄を与えているのではなく、災厄を取り除いているとされるのである。

ここにメンドン独特の逆説がある。

怖い姿をしているから悪い存在なのではない。

人を叩くから敵なのでもない。

「畏ろしく見える神」が「乱暴に見える方法」で人の邪気を祓う。

外見と役割が一致しないのである。

保存会がユネスコへ提出した資料でも、メンドンは地域住民から悪いものを追い払う存在として説明されている。

したがって、少なくとも現代に伝えられている意味としては、枝による打擲は明確に厄払いの側に置かれている。

ただし、なぜ枝で叩く方法が成立したのか、その最初の起源まで説明する確実な史料は、今回確認した公的資料の範囲では見つからない。

「植物には古来霊力があるから」といった一般論だけで理由を決めつけることは避けるべきだろう。

分かっていることと、解釈できることを分ける必要がある。


踊りが終わってもメンドンは消えない

メンドンの奇妙さは、八朔太鼓踊りの時間だけに限定されない。

文化庁の簡略な解説では、メンドンは神社を出たり入ったりしながら駆け回り、翌日の夜まで出没するとされる。

さらに詳細な調査記録を見ると、より複雑な実態が分かる。

かつてはメンドンが深夜に人家へ入り込み、大暴れすることもあったとされる。

一方、文化財指定当時の状況については、翌2日の夕方頃まで活動することが主になっていたという。

つまり「メンドンは必ず一晩中徘徊する」と現在形で単純化することはできない。

行事の形そのものにも時代による変化があるのである。

誰でもメンドンになるわけではないが、14歳だけでもない

面作りには14歳になる子が関わるという伝承があるが、文化庁の詳細記録では、実際にメンドンへ扮する者は14歳の子だけとは限らない。

踊りに参加していない若者や大人が入る場合もあり、一様ではなかったことが記されている。

これは重要な点である。

「14歳になると必ずメンドンになる」という単純な制度ではない。

14歳という年齢には面作りや若者入りとの重要な関係がある一方、実際の祭礼運営にはより柔軟な側面もあったと考えられる。


二日目の「叩き出し」で島を一巡する

旧暦8月2日になると、行事は神社の境内から島全体へ広がる。

この日に行われるのが「叩き出し」である。

太鼓踊りの一行は島内を巡っていく。

文化庁の簡略解説ではメンドンが隊列の先頭につくと説明されているが、詳細な調査記録では、メンドンは隊列についたり離れたりしながら動いていたとも記されている。

したがって、メンドンが整然と行列の先頭だけを歩き続けると想像すると、実態とは少し違うようだ。

メンドンはここでも、決められた行列の中に完全には収まらない。

一行の周辺を動きながら、島を巡っていく。

三か所から海へ「悪いもの」を追い出す

文化庁の詳細記録で、とりわけ注目すべき場面がある。

島の外周道に設けられた所定の三か所で、メンドンたちは海岸から海へ向かい、「島中の悪いもの」を叩き出して追い祓うという。

初日に人々の身体を枝で叩き、魔を祓う。

二日目には島そのものを巡り、今度は島中の悪いものを海へ追い出す。

対象が個人から島全体へ拡大しているようにも見える。

ここまで追うと、メンドンの行動が単なる祭りの余興ではないことがよく分かる。

神社前だけで完結するのではなく、集落から外周道、そして海までを含んだ広い空間が儀礼の舞台になっているのである。


なぜ「悪いもの」を海へ追い出すのか

ここで新しい疑問が生じる。

なぜ悪いものの行き先は海なのだろうか。

日本の民俗信仰には、海を異界や彼方の世界と結びつけて考える例がある。

しかし、それだけを根拠として「メンドンでは海が死者の世界を意味する」「海の彼方へ邪霊を送っている」と断定することはできない。

メンドンに関する文化庁の記録が明確に伝えているのは、所定の場所から海に向けて島中の悪いものを叩き出し、追い祓うという行為である。

なぜ海でなければならないのか。

海そのものに、どのような宗教的意味が与えられていたのか。

その点について、今回確認した資料は明確な答えを示していない。

だからこそ、この場面は興味深い。

意味を勝手に補えば謎は簡単に消えてしまう。

しかし史料に忠実であろうとすれば、「海へ追い祓うことは分かっているが、なぜ海なのかは簡単には決められない」という余白が残る。

伝承を調べる面白さは、このような空白にもある。


八朔太鼓踊りは朝鮮出兵から始まったのか

八朔太鼓踊りの起源については、さらに注意が必要である。

三島村が紹介している1963年の鹿児島県文化財調査報告には、島の古老から聞き取った由来が記録されている。

それによれば、慶長3年、1598年の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、硫黄島の人物が島津義弘に従って出陣し、戦功を立てた。その凱旋祝いとして踊りを奉納するようになったという。

この説明だけを見ると、八朔太鼓踊りは1598年に始まったように思える。

しかし三島村の資料自身が、その前に「由来ははっきりしない」としている。

したがって、これは確定した歴史的起源ではない。

古老が語った「起源伝承」

正確に扱うなら、八朔太鼓踊りには、朝鮮出兵から帰還した島民の凱旋祝いに始まったという伝承があった、とするべきである。

1598年に確実に創始されたと証明する同時代史料が確認されているわけではない。

一方で、この伝承自体に価値がないわけでもない。

1960年代にはすでに島の古老がそのような由来を語っていたことが記録されているからだ。

祭りの歴史では、「実際に最初に何があったか」と「地域でどのように起源が説明されてきたか」は別の問題である。

両者を分けて扱うことで、伝承を史実に変えてしまうことも、逆に伝承そのものを無価値として捨てることも避けられる。


14歳で作るメンドンの面

メンドンには、邪気祓いとは別の重要な側面がある。

それが、島の少年の成長との関係である。

文化庁の詳細な調査記録では、メンドンの面は14歳になる子が作るものとされ、祖父や父親らの助けを受けながら、一、二か月ほどかけて完成させたと記録されている。

ここで14歳という年齢が偶然に選ばれているわけではない。

文化庁は、14歳で面を作り、メンドンに扮することを、地域社会における「若者入り」を意味する成年戒の一つとして評価している。

つまりメンドンは、外からやってくる神を表現するだけの存在ではなかった。

その神になること自体が、少年が地域社会の次の段階へ入ることと結びついていたのである。

中学2年生による面の奉納

この関係は、ユネスコ登録の際に保存会が提出した2017年の同意書からも確認できる。

保存会の説明では、島の男子は中学生になると祭りに踊り手として参加する。

大人と一緒に踊ることは、少年たちにとって誇りであり、男性として認められた証しでもあるという。

さらに、メンドンの面は中学2年生の男子が神社へ奉納し、それは昔なら元服に相当するものとして説明されている。

奉納された面は、その後修理されながら次の世代へ継承される。

ここでは、祭りが単なる年中行事ではなく、世代を接続する仕組みにもなっている。

面を作る。

面を奉納する。

踊りに加わる。

大人と同じ祭礼空間へ入る。

そうした一連の経験が、島の共同体の中で成長を可視化していたのである。

ただし、この2017年の保存会文書をもって「現在も必ず全員が同じ方法で行っている」と断定することはできない。

人口構成や社会環境が変われば、伝承の方法も変化し得る。

資料から確実にいえるのは、少なくとも文化財調査やユネスコ推薦の時点で、14歳あるいは中学2年生という年齢とメンドンの面が、成年への移行と明確に結びつけて説明されていたことである。


メンドンと悪石島のボゼは何が違うのか

鹿児島県の島々には、メンドン以外にも強烈な姿をした仮面神が残されている。

代表的なのが、十島村悪石島の「ボゼ」である。

メンドンとボゼはともに、2018年にユネスコ無形文化遺産となった「来訪神:仮面・仮装の神々」の構成行事に含まれている。

地理的にも比較的近く、巨大な仮面をつけて人々へ接触することから、同じものの地域違いのように見えるかもしれない。

しかし行事を細かく見ると、違いは大きい。

ボゼは盆、メンドンは八朔

まず現れる時期が異なる。

悪石島のボゼは旧暦7月16日、盆行事の最終日に現れる。

一方、メンドンは旧暦8月1日と2日の八朔行事に現れる。

祭りが置かれている時間的位置が違うのである。

また、ボゼは特徴的な棒を持ち、その先についた赤土を人につけることによって邪気を祓い、生命力をもたらすと伝えられている。

メンドンは枝葉で人を叩き、魔を祓う。

どちらも異形の仮面神が人間へ直接触れるという共通点をもつが、用いる道具も、接触方法も異なる。

同じ「来訪神」でも同じ儀礼ではない

ユネスコ登録によって、ナマハゲ、トシドン、アマメハギ、パーントゥ、メンドン、ボゼなどは「来訪神:仮面・仮装の神々」という一つの文化遺産としてまとめられた。

しかしこれは、すべての行事が同じ内容をもつという意味ではない。

ユネスコも、それぞれの地域の社会的・歴史的背景によって多様な形態が生じていることを重視している。

「仮面をかぶった神が人里へ現れる」という共通性の内側に、驚くほど多様な地域差が存在するのである。


ナマハゲやトシドンとは異なる来訪の形

来訪神という言葉からは、「神が家々を訪ねる」という形が想像されやすい。

男鹿のナマハゲは、大晦日に家々を訪れ、人々を戒めることで広く知られている。

甑島のトシドンも、大晦日の夜に家を訪れ、子どもの行いを問い、年餅を与える。

それに対してメンドンの中心舞台は、八朔太鼓踊りである。

メンドンは踊りへ走り込み、人々を叩き、島を巡る。

家を一軒ずつ訪問して家族を戒めることが行事の中心ではない。

この違いを見ると、「来訪神」という言葉だけでは、それぞれの祭りを十分に説明できないことが分かる。

何者が訪れるのか。

いつ訪れるのか。

どこへ訪れるのか。

誰と接触するのか。

何を与え、何を取り除くのか。

この組み合わせが地域によって大きく異なるのである。

メンドンの場合、その中心にあるのは「戒め」よりも「祓い」である。

人の身体から魔を祓い、島を巡り、最後には悪いものを海へ追い出す。

少なくとも現在確認できる資料を読む限り、この流れがメンドンを理解する最も重要な軸となる。


2017年、国の重要無形民俗文化財になった

「薩摩硫黄島のメンドン」は2017年3月3日、国の重要無形民俗文化財に指定された。

保護団体は硫黄島八朔太鼓踊り保存会である。

文化庁は、この行事を種子島・屋久島地方における来訪神行事の典型例として評価した。

特に注目されたのが、奇怪な姿、夏から秋の時期に出現する点、そして魔を祓う行為である。

ここで一つ注意すべき点がある。

三島村のウェブサイトなどには、八朔太鼓踊りを「鹿児島県指定無形文化財」とする古い記載が現在も残っている。

しかし鹿児島県公報を確認すると、「三島村硫黄島の八朔太鼓踊り」の県指定は、2017年3月3日付で解除されている。

国指定への移行に伴うものである。

したがって現在の記事で「八朔太鼓踊りは鹿児島県指定無形民俗文化財である」と書くのは正確ではない。

公式サイト同士でも、更新時期の違いによって情報が一致しないことがある。

地域文化を調査するとき、自治体ウェブサイトだけでなく公報や文化財データベースまで確認する必要がある理由の一例である。


2018年、「来訪神:仮面・仮装の神々」の一つに

翌2018年11月29日、「薩摩硫黄島のメンドン」はユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載された。

単独で登録されたのではない。

「来訪神:仮面・仮装の神々」という一つの文化遺産を構成する十の行事の一つである。

構成行事には、男鹿のナマハゲ、甑島のトシドン、能登のアマメハギ、宮古島のパーントゥ、悪石島のボゼなどが含まれている。

こうした来訪神行事では、人間が仮面や特別な装束を身につけ、日常の人間とは異なる存在となる。

重要なのは、仮面そのものが保存されているかだけではない。

誰が仮面を作るのか。

誰が身につけるのか。

誰が太鼓を叩くのか。

どこを巡るのか。

地域の人々がその存在をどう迎えるのか。

そうした一連の知識と実践が継承されなければ、行事そのものは成立しない。


「仮面を保存すること」と「メンドンを残すこと」は同じではない

メンドンの面は、物として残すことができる。

温度や湿度を管理し、傷んだ部分を修理すれば、何十年後にも形を残すことは可能である。

しかしメンドンという文化を残すには、それだけでは足りない。

面の作り方を知る人が必要である。

八朔太鼓踊りを踊る人が必要である。

メンドンに扮する人が必要である。

神社や巡行路、祭りの日を共有する地域社会が必要である。

そして、なぜ枝で叩かれるのか、なぜ海へ向かうのかを完全に言葉で説明できなくても、その行為を受け継ぐ人が必要になる。

無形文化財の保存が難しい理由はここにある。

建物や仮面の保存だけでは完結しない。

人間の行動と記憶が途切れたとき、物が残っていても祭りは失われる可能性がある。


まとめ

薩摩硫黄島のメンドンは、巨大な面をかぶって人々を追い回す奇妙な仮面神として紹介されることが多い。

しかし行事全体を追うと、それだけではないことが分かる。

旧暦8月1日、熊野神社前で八朔太鼓踊りが始まる。

メンドンが突然現れ、踊りへ乱入する。

枝葉で人々を叩き、魔を祓う。

翌日には太鼓踊りとともに島を巡る。

そして所定の場所から海へ向け、「島中の悪いもの」を追い祓う。

神社、人、集落、島、海。

メンドンの行動は、次第にその対象を広げていく。

さらに、その巨大な面は14歳になる少年が作るものとされ、若者入りや成年への移行とも結びついていた。

中学生になれば大人たちと踊り、中学2年生の男子が面を奉納するという伝承も記録されている。

メンドンとは一体の神だけを指すのではない。

面を作ること。

神に扮すること。

太鼓を叩くこと。

叩かれること。

島を巡ること。

海へ悪いものを追い出すこと。

そして、それを次の世代が再び行うこと。

これらが重なって初めて成立する存在である。

一方で、分からないことも残る。

なぜメンドンの邪気祓いは枝でなければならないのか。

なぜ島中の悪いものは海へ追い出されるのか。

八朔太鼓踊りは本当に1598年の朝鮮出兵をきっかけとして始まったのか。

資料は行為を記録していても、その意味のすべてを説明してくれるわけではない。

伝承を調べるとき、分からない部分を想像で埋めることは簡単である。

しかし、確実に残された記録と、後世の解釈との境界を守った先にこそ、この行事の本当の奇妙さが残る。

そして最後に、もう一つの問いが残る。

巨大なメンドンの面だけを未来へ保存できたとして、それでメンドンは残ったと言えるのだろうか。



参考文献・出典URL

文化庁「国指定文化財等データベース 薩摩硫黄島のメンドン」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/302/00000944

文化遺産オンライン「薩摩硫黄島のメンドン」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/244588

文化庁「重要無形民俗文化財である来訪神行事 薩摩硫黄島のメンドン」
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2017022201_gyojinaiyo.pdf

文化庁「各部会・分科会からの報告 重要無形民俗文化財の指定」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_16/70/pdf/shiryo1.pdf

文化庁「薩摩硫黄島のメンドン」行事概要
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/__icsFiles/afieldfile/2018/11/29/a1411125_01_1.pdf

文化庁「ユネスコ無形文化遺産『来訪神:仮面・仮装の神々』認定書伝達式の開催について」
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1416874.html

鹿児島県三島村「三島村のまつり」
https://mishimamura.com/education-culture-history/matsuri/

鹿児島県三島村「硫黄島について」
https://mishimamura.com/gaiyoukankou/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E6%9D%91%E6%A6%82%E8%A6%81/ioujima/

三島村副読本「わたしたちの三島村」
https://www.mishimamura.com/system/wp-content/uploads/2024/04/mishimabook2024.pdf

鹿児島県公報 平成29年3月21日 第3298号「鹿児島県指定無形民俗文化財の指定解除」
https://www.pref.kagoshima.jp/ab04/kensei/jourei/kouhou/1703/documents/58203_20170317194232-1.pdf

UNESCO Intangible Cultural Heritage「Letter / Certificate of Consent: Satsuma-ioujima no Mendon」
https://ich.unesco.org/doc/src/36515.pdf

UNESCO Intangible Cultural Heritage「Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes」
https://ich.unesco.org/en/RL/raiho-shin-ritual-visits-of-deities-in-masks-and-costumes-01271

『月刊文化財』642号「薩摩硫黄島のメンドン」2017年3月、pp.20–22(書誌情報:CiNii Research)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1521136280177431552

Visited 1 times, 1 visit(s) today

スポンサーリンク

風俗

Posted by fake-lie-collection